津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

文化十三年御侍帳・・其の弐

2007-03-11 14:52:08 | 歴史
 一寸興味をそそられて知行高ランキングを作ってみた。
  
   30,000石  長岡帯刀(代々御家老・松井氏)
   18,500石  有吉織部(代々御家老)
   15,000石  長岡監物(代々御家老・米田氏)
   10,000石  長岡図書(御一門・刑部家)
   10,000石  沢村宇右衛門(沢村大学後胤)
    6,000石  長岡内膳(御一門・内膳家)
    6,000石  小笠原美濃(小笠原備前家・ガラシャ夫人殉死少斎の後胤)
    5,500石  大木相馬
    5,000石  沼田勘解由(細川藤孝室麝香の実家)
    5,000石  三渕永次郎(細川藤孝の実家)
    4,500石  柏原新左衛門
    4,000石  清水縫殿(細川綱利生母・清高院実家)
    3,500石  堀 平太左衛門(宝暦の改革の立役者・家老、大奉行)
    3,200石  松井直記(松井分家)
    3,000石  氏家志摩(氏家卜全の後胤)
    3,000石  郡 九郎太郎(三渕家分流)
    3,000石  尾藤多賀之允(秀吉黄母衣衆尾藤知宣の後胤)
    2,800石  藪 内蔵之允
    2,800石  有吉市郎兵衛(有吉家分家)
    2,800石  溝口蔵人(小笠原多宮家分流)
    2,700石  朽木内匠(三渕家分流)
    2,700石  有吉清九郎(有吉家分流)
    2,700石  木下平馬(日出藩主木下延俊の弟の後胤)
    2,000石  田中大助
    2,000石  松野 匡(大友宗麟の後胤)
    2,000石  木村万之允
    2,000石  平野九郎左衛門
    1,900石  岩間此面(武田信玄の後胤)
    1,900石  小笠原求馬
    1,800石  片山多門
    1,800石  続 繁也
    1,800石  松野八郎右衛門
    1,600石  宮村典太
    1,510石  寺尾志馬 (1,050石カ)
    1,500石  岩越椿十郎
    1,500石  津川一八(管領斯波氏の後胤)
    1,500石  松野亀右衛門(大友宗麟の後胤)
    1,500石  松下清蔵
    1,500石  三宅藤兵衛
    1,500石  志水孫七郎
    1,400石  山本三次郎
    1,400石  沢村才七郎
    1,356石余 横山寿七郎
    1,300石  長岡岩之助
    1,200石  出田作左衛門
    1,200石  奥村弥左衛門
    1,200石  斉藤勘助
    1,200石  志水久馬之助
    1,150石  長谷川七兵衛
    1,150石  益田弥一右衛門
    1,100石  藤崎作右衛門
    1,100石  須佐美十右衛門
    1,000石  西山大衛(足利将軍家の後胤)
    1,000石  遠坂万助
    1,000石  大河原次郎九郎
    1,000石  小阪半之允
    1,000石  鎌田軍助
    1,000石  楯岡七左衛門(最上家の後胤)
    1,000石  谷 権右衛門(田辺城攻め谷氏の後胤)
    1,000石  津田平助(織田信長の後胤)
    1,000石  中村進士(中村一氏の後胤)
    1,000石  中瀬助五郎
    1,000石  中根典助
    1,000石  松山形馬
    1,000石  牧 新吾
    1,000石  芦村冨雄
    1,000石  志水繁助
    1,000石  嶋田嘉津次(1,200石トモ)
    1,000石  下津久馬(下津棒庵の後胤)
    1,000石  住江次郎吉
     950石  上月半下
     900石  堀尾仙太(堀尾茂助の後胤)
     900石  落合弥次兵衛
     900石  高見権右衛門
     900石  宮川慶蔵
     850石  堀 吾右衛門
     800石  磯野又之允
     800石  額田和多利
     800石  神谷源助
     800石  寺本八左衛門
     800石  佐分利権兵衛
     800石  日隈助之進
     750石  小林右七左衛門
     700石  堀 尉右衛門
     700石  堀部右角
     700石  冨田小右衛門(有吉家分家)
     700石  筑紫佚助
     700石  田中為助
     700石  沢村八郎次(佐衛門)
     700石  弓削新助
     700石  三宅八郎右衛門
     700石  嶋 又左衛門
     650石  稲津久兵衛
     650石  河喜多次郎左衛門(ガラシャ夫人殉死河喜多石見の後胤)
     650石  松尾亀次
     650石  木村善九郎
     600石  井上新之允
     600石  林 勘左衛門
     600石  吉住半四郎
     600石  田中小左衛門
     600石  上田宇兵衛
     600石  八木弥次郎
     550石  兼松群太
     550石  兼坂藤右衛門
     550石  曽我三郎兵衛
     550石  仲光善左衛門
     550石  荒木助左衛門(荒木村重の後胤)
     512石余 寺本亀蔵
     500石  丹羽源吾
     500石  沼田子之助 
     500石  奥田小佐衛門
     500石  柏原弥七左衛門
     500石  加藤仲五
     500石  金森格助
     500石  加来七郎左衛門(宇土藩主細川有孝生母お三の方実家)
     500石  河方文次
     500石  吉田次郎左衛門
     500石  吉田淳平
     500石  吉津 仲
     500石  田中平右衛門 
     500石  都築次左衛門 
     500石  松野善右衛門 
     500石  松崎卯平次 
     500石  的場宇兵衛 
     500石  藤本次郎左衛門
     500石  藤田勝助
     500石  不破大作 
     500石  上月平右衛門 
     500石  佐藤仙右衛門
     500石  沢村八郎次
     500石  貴田権内
     500石  三野長右衛門
     500石  水野久左衛門
     500石  水足勘助
     500石  志水一学
     500石  白杉少助
     500石  平野太郎左衛門
     500石  須佐美素雄      
     
         以上(知行高が同じ者についてはイロハ順表記)

500石以上の知行取りは計138人、給地の合計は255,478石となった。
15%にも満たない人が、62%を越す給地を得ていることが分かった。
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文化十三年御侍帳

2007-03-11 09:51:11 | 歴史
 文化十三年の御侍帳「肥後細川様家中御知行扣・全」によると、927名の名前がいろは順に記され「(い)○○家合計○○石」と表記してある。計算してみるとその惣高は408,990石余となる。平均すると440石余である。「度支彙凾」によると、文化八年の給地高は407,296石とあるからほとんど差異はない。ちなみに蔵納高は309,154石であり、現高は716,000石余となる。文化十一年の侍帳の6,799人との差が余りにも大きすぎるが、5,800余人の扶持は微々たるものであったろう。
 平均高が440石というのは驚きだが、あるデータによると知行高500石以上の人177人の(人数割合20%)の給地合計は、314,773石(給地割合68.1%)というものがある。
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