住江小右衛門を初代とする丹後以来の住江家の10代である。
初名次郎吉(次郎右衛門) 御留守居御番頭・大組頭 千石
文政三年十二月(比着座)~文政五年九月 留守居番頭
文政五年九月~文政十三年六月 番頭
文政八年三月~文政九年九月 鶴崎番頭
天保二年七月~天保十三年一月 番頭
初代・小右衛門は「始は明石左近家来にて三百石取しを、先知にて被召抱候、左近身体果候時玄蕃殿御肝煮にて魚住右衛門兵衛・鯛瀬善助と共に三人被召出候、仔細は太閤の御意にて播磨におゐて六ヶ敷城を云付られしかハ、此三人の者忍ひて乗取し故なり、関ヶ原御帰陳後六百石御加増、其後弐百石御加増、丹後にてハ十五挺頭、豊前にてハ三十挺頭なり」
いつの頃からかよくわからないが、住江家は城内二の丸に住した。現在の熊本県立美術館のあたりである。
法華坂から二の丸に入る当たりに門があり「住江門」と称している。
甲立物は朱塗りの牛の角。家紋は「丸に違櫂」、替紋は「松毬」か?