伊勢海老のかゞ見開きや具足櫃 許六
細川家には文政の頃から、正月の十一日、先祖武功の家に対して具足鏡が与えられるようになった。
武家の風習としてはもともとは正月廿日に行われていたらしいが、この日が徳川家光の忌日となったため十一日に変更に担ったと伝わる。
齊樹公の家記には次のように記録されている。
「(文政二年・1819)癸未正月十一日先祖武功ノ者ノ子孫ヲ広間ニ呼出シ、具足鏡餅ヲ領チ与ウ、コレヨリ年々定例トナリ、一部ヲ是日、一部ヲ十三日ニ別ツ」
これに該当する名誉のお宅については、かっての■武功之子孫御鏡餅頂戴でご紹介しているのでご覧いただきたい。
具足鏡とは、家々伝来の具足に供えた鏡餅のことだが、許六の句のように「伊勢海老」供えられるというのは稀であったろうが・・・
齊樹公の仰せ出は、長きにわたる知行の借上など、沈滞した空気の活性が思惑として見えてくる。
いずれにしろ、これらのお宅ではこれ以降「名誉の家格」として誇りにされて来たことであろう。
「青龍寺以来」「丹後以来」「関ケ原武功」「大坂の陣武功」「有馬陣武功」等々の家が対象であろうが、ご紹介した後この209家の内の二三のお宅のご子孫から、ご連絡をいただいたこともうれしい思い出である。
「鏡開き」が子々孫々に「名誉の家」として誇りの儀式として伝えられていくことを望みたい。
そんなことには我家は埒外の家だが、それでも祖母(母方)が元気だったころは、お正月に何故か五月飾りの「兜」を飾り付けて鏡餅が供えられていたことをかすかに覚えている。