「手討達之扣」を読んでいたら、「育ての叔父」という言葉が出てきた。「厄介叔父」等と云われるが、「厄介者」「厄介兄」など独立した生計をもたず家主に扶養される者の事を云う。
この場合のA家においては、Aの家督は直系の嫡子Bが相続すると、Aの弟・Cは養子にでも行かぬ限り、相続したBの世話になる事に成る。
Bが叔父たるCを「扶養者」とすることから「育て」の叔父と呼称することになる。
「手討達之扣」に登場する「育ての叔父(C)」は、Bの知行地に赴き小さな野屋敷で息子・Dと共に暮らしている。
そんな中でDが事件を起こし、当主であるBがその後始末に奔走している。
「先祖附」等では、詳細な家系は記載されないため、こういう形の分流の子孫については中々詳細を知り得ることが出来ない。
例えば我家などでも、我が家の先祖附にも墓所にも見当たらない人の存在が認められたり、又同名の者が宇土細川家で最下級の士に成って居たりしている。
いつの時代に誰の子が分家したのかが判らないが、何とか士分として生きている。
「育ての叔父」の子孫のその後はうかがい知れないが、大方は浪人となったり帰農したりして、手永の惣庄屋や庄屋の元でなにがしかの役を得られるという方が多いように思える。
「厄介」とは、「 1 、めんどうなこと。扱いに手数がかかり、わずらわしいこと。また、そのさま。 2、 めんどうをみること。また、世話になること。」の意だが、厄介者は後者(2)をさすが、たまには(1)のような人物が表われている。
精々私も「厄介爺」にならないように、大いに心して生きていかなければならないと自覚している。