昨日は史談会グループのLINEの「段山橋」の事で、私は大失態してしまった。
LINEに紹介された写真を見て、私が「これは陣の橋では」と指摘したのだが、どうも私の勘違いのようで、結果取り消させていただいた。
段山という地域は、西南の役では井芹川が真っ赤に地で染まったという激戦の地である。
「段山(だにやま)橋」は、熊本城城地が西に低山を飛び出させた地域で、その先の島崎地域へ通じていた。
井芹川を渡る為の小さな石橋があったのだが、これを戦の前に落としておけば、薩軍の段山への侵入を抑えられたのではないかと思うのだが、そんな時間さえもなかったということだろうか?
これの橋が同じ川の上流部にある「陣の橋」と形も構造も類似している。
「陣橋」は熊本城の森本櫓(現存せず)の真下に井芹川が蛇行していて、城内から本妙寺へ通ずる大切な要路に設けられていた。
その先に「杉塘(すぎども)」が続いたが、いまは地名のみ残されている。
「段山橋」は果たしていつ頃に架橋されたのだろうかと思い、「地名辞典」や「熊本県百科事典」などを検索するが全く触れられていない。「陣の橋」も同様である。これはいかん・・・
随分以前熊本城と京町台を結ぶ「磐根橋」の由来を調べたことがあるが、これもいまだに謎のままで何故「磐根」と付けたのかはっきりしない。
これは又、図書館のレファレンスにお願いしようかなどと安直な考えがよぎったが、その前に一応の努力をしなければなるまい。
まだまだ、知らないことが多すぎる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます