キリスト教は、今から約2000年前にイエス・キリストの開始した教えです。この教えに魅了された人が、彼の死後急速に増大し、今日では、世界最大の宗教となりました。
キリスト教文化圏の人口は、世界の33%、ほぼ3分の1います。第二位はイスラム教で、約20%。世界三大宗教の一つといわれる仏教は意外に少なく、その文化圏の人口は、6%。ヒンズー教の13%についで第四位です。(『キリスト教年鑑2003』キリスト教新聞社)
どこにその魅力があったか、一口に言うのはとても難しいです。その教えは、宇宙を超えた広大な空間にわたる世界の歴史から、人間の最適な生き方にいたるまで、多岐多様にわたっています。
「聖書思想の基礎知識」など他のカテゴリーの記述を参考にして、読者の皆様に各々考えてほしいところです。逃げるわけではありません。後に示しますように、実際、それがもっとも正当な方法なのです。
そうした中でも、あえて一つあげるとしたら、それは人間に「永遠」という視点を明確に提供し、永遠に幸福に存在し続ける方法を提示したことでしょう。
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我々人間は、特殊な人をのぞいては、物質しか認知できません。生まれてこの方、それを五感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で捉えて暮らしてきています。
物質は、みな、変化し、消滅していきます。木も草も動物もそうです。人間の身体も、100年もすれば、循環運動が出来なくなり、死にます。死んだら、身体は、腐って崩れて消滅します。幼いときより、そういうものだけを認知してきた我々の意識には、すべては無常で消滅するという知識を、当然のように持つに至ります。
この知識は、我々の心にさらに派生的な意識を形成していきます。その重要な一つは、「人間生きても結局無意味ではないか」、という意識です。どうしてでしょうか? だって、どうせいつか死んで消滅して無くなってしまうのなら、今、人生でしている事はみな究極的には意味のないものとなるでしょう。この意識を、虚無とかニヒルともいいます。
そして、どうせ死んでなくなってしまうのなら、人生無意味、という論理は子供の頭にもわかるようです。早くは、5歳頃に、遅くとも8歳くらいには、人間はそういう虚無意識を心の片隅に漠然と持つようです。皆さん、振り返っていかがですか?
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こうした虚無意識は、心の芯のところに空洞のようなものを造ります。すると人間は、心の底から真に積極的に生きる事、物事を志向することが出来なくなります。それがちょっとした事で傷つく、エネルギーにかけた心を造ります。また、少しの苦しみで自殺を考える意識も造ります。
今日本では、毎年、3万5千人近くの人が自殺しています。交通事故での死者の3倍にも上ります。もちろん、他の人は、何らかの形で生きている間での目標を掲げて、学び、働いています。しかし、そういう人でも、その心の芯が空洞になっている事には変わりありません。
これは、人間の根底的な問題です。我々は、意識の一番根底で、これが何とかならないか、という願いを持っています。しかし、これはいかんともしがたいと悟っているので、我々の心理は、この欲求を自覚できない奥部屋に押しやっています。そうして、事実を自覚できないようにしているのです。マズローという心理学者が造った、有名な「欲求五段階説」は、人間心理のそういう実態を踏まえて造られています。
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この、人間にはいかんともなしようのない問題に、イエスは答えを提供したのです。
彼の答えはこうでした。すなわち、ーー人間は肉体だけでなく霊というものからなっている。肉体は死んで消滅するが、霊は永続する。人の意識は霊の中で存続する。その霊は永遠に幸福になる事が出来る。ーーでした。そして、その霊が永遠に幸福になって存続する方法を教えたのです。
加えて、彼は、自らの教えをしるしと不思議(奇跡)でもって、証拠しました。自分だけでなく、自分の教えを説く弟子たちにも、そのしるしが現れるようにしていきました。それによって、彼の教えは、人々の心の奥底を打ちました。心の琴線にタッチした。そして、信徒は急速に増大を開始したのです。