<写真は「聖書の空間理念の図」(『聖書の事がよくわかる本』中経出版、より)クリックすると拡大します>
聖書の論理をKINGDOM原理から解読していこう、というのがこのカテゴリーです。キングダムというのは、正確にはKingdom of Godというべきで、それは文字通り「創主の王国」です。王国ですから、そこは民主国や共和国のように、人民が統治している国ではなく、王が統治しているく国です。そこでは、王から出た言葉がその国の法になる。これは前回のべましたね。
そして、天の王国での王は、万物の創造主、イエスが「父なる神」と呼んでいる存在です。それがあるというのが聖書の思想です。では、それはどこにあり、どうなっているか、我々の住んでいる地上の世界とどういうつながりをもつか? これが今回のテーマです。
それをまず図で示したのが上記の写真です。見えにくいかも知れませんが、円が三つ描いてある事はわかるでしょう。これらの円は、球体を表しています。
一番外側の大きな円(球体)これが「天の王国」Kingdom of Heavenです。その中に描かれている二番目の円が、我々の存在する宇宙です。そして、その中に、小さな点のように描かれているのが、我々が住んでいる地球です。
聖書を解読していくとその空間理念は、どうもこういう風になっていそうです。実際の解読過程については『誰もが聖書を読むために』(新潮選書)をご参照下さい。
@ @ @
さて、聖書ではこの天の王国の法と、宇宙でなされている法とは違う、という思想です。そして、宇宙はいずれ火でもって焼かれ、消滅する“うたかた”の存在となっています。だから、そこでの法も、かりそめのものであって、真の法は天の王国の法、真の正義は天のキングダムの正義、と教えます。これはもう、聖書論理の大黒柱です。
加えて、天の王国は宇宙やその中の一点にすぎない地球上などとは、比較にならない豊かな国です。これはもう、何千倍、何万倍、何億倍という豊かさです。(そのすさまじい豊かさは、たとえば『黙示録』21~2章に、示されています)
そして、人間は、天の王国の法に沿って生きたら、この豊かさや幸せを受けて暮らせる、(のみならず、死後もその霊が永遠に幸福に生きられる)という思想です。人間はそういう風に造られてるよ、という、これがKINGDOM原理です。
後に、イエスの口から出るーーー
「まず創主の王国とその義(法)を求めなさい。そうすればこれらのもの(物的な富)は(必要の何倍もが)添えて与えられます」
(マタイ伝、6章33節)
ーーーという言葉も、そういう背景・意味をもっています。
@ @ @
ところが人間は、地球上、すなわち宇宙の中に住んでいますから、天の王国の法など認知できません。宇宙の中の法が、法のすべてだと思って暮らしています。だから、本来の幸福が得られないで、暮らすことになるしかない。自然にそうなります。
その結果、チンケなところで、グチャグチャやっている。この地球上に富豪といわれる人もいますけれど、そんな富は天の王国で与えられる富に比べたら、塵も同然、チンケもいいとこ、という思想です。
そんなこと言っても、人間、宇宙の中で生活してるから、どうしょうもないじゃないの・・・。ところが、「必ずしもそうではないよ」、とも聖書は言っています。
イエスが天の王国の法を持って、この地上に天の王国からやってくる。そして、王国の法を教え、それが支配する王国を、小さいながら、この地上に造っていく(つまり、天の王国と同質の空間をこの宇宙の中に作っていく)ーーーこれがKINGDOM原理からみた聖書の論理です。
聖書には、バプテスマのヨハネという預言者が出てきます。イエスがこの世で王国の法を教える活動を開始するのを、その直前に預言した預言者ということになっています。彼は、人々に
「悔い改めよ、天の王国は近づいた」(マタイ伝、3章2節)
と、宣言しています。
また、イエス自身も、教えを開始するに当たって、
「時が来た。創主の王国が近づいた! 悔い改めて、よき知らせ(福音)を信じよ」
(マルコ伝、1章15節)
と、宣言したと、聖書にあるのもそういうことです。
聖書の内容は、深淵広大にして膨大です。しかしKINGDOM原理から解読していくと、かくも簡単明瞭になるのです。
聖書の論理をKINGDOM原理から解読していこう、というのがこのカテゴリーです。キングダムというのは、正確にはKingdom of Godというべきで、それは文字通り「創主の王国」です。王国ですから、そこは民主国や共和国のように、人民が統治している国ではなく、王が統治しているく国です。そこでは、王から出た言葉がその国の法になる。これは前回のべましたね。
そして、天の王国での王は、万物の創造主、イエスが「父なる神」と呼んでいる存在です。それがあるというのが聖書の思想です。では、それはどこにあり、どうなっているか、我々の住んでいる地上の世界とどういうつながりをもつか? これが今回のテーマです。
それをまず図で示したのが上記の写真です。見えにくいかも知れませんが、円が三つ描いてある事はわかるでしょう。これらの円は、球体を表しています。
一番外側の大きな円(球体)これが「天の王国」Kingdom of Heavenです。その中に描かれている二番目の円が、我々の存在する宇宙です。そして、その中に、小さな点のように描かれているのが、我々が住んでいる地球です。
聖書を解読していくとその空間理念は、どうもこういう風になっていそうです。実際の解読過程については『誰もが聖書を読むために』(新潮選書)をご参照下さい。
@ @ @
さて、聖書ではこの天の王国の法と、宇宙でなされている法とは違う、という思想です。そして、宇宙はいずれ火でもって焼かれ、消滅する“うたかた”の存在となっています。だから、そこでの法も、かりそめのものであって、真の法は天の王国の法、真の正義は天のキングダムの正義、と教えます。これはもう、聖書論理の大黒柱です。
加えて、天の王国は宇宙やその中の一点にすぎない地球上などとは、比較にならない豊かな国です。これはもう、何千倍、何万倍、何億倍という豊かさです。(そのすさまじい豊かさは、たとえば『黙示録』21~2章に、示されています)
そして、人間は、天の王国の法に沿って生きたら、この豊かさや幸せを受けて暮らせる、(のみならず、死後もその霊が永遠に幸福に生きられる)という思想です。人間はそういう風に造られてるよ、という、これがKINGDOM原理です。
後に、イエスの口から出るーーー
「まず創主の王国とその義(法)を求めなさい。そうすればこれらのもの(物的な富)は(必要の何倍もが)添えて与えられます」
(マタイ伝、6章33節)
ーーーという言葉も、そういう背景・意味をもっています。
@ @ @
ところが人間は、地球上、すなわち宇宙の中に住んでいますから、天の王国の法など認知できません。宇宙の中の法が、法のすべてだと思って暮らしています。だから、本来の幸福が得られないで、暮らすことになるしかない。自然にそうなります。
その結果、チンケなところで、グチャグチャやっている。この地球上に富豪といわれる人もいますけれど、そんな富は天の王国で与えられる富に比べたら、塵も同然、チンケもいいとこ、という思想です。
そんなこと言っても、人間、宇宙の中で生活してるから、どうしょうもないじゃないの・・・。ところが、「必ずしもそうではないよ」、とも聖書は言っています。
イエスが天の王国の法を持って、この地上に天の王国からやってくる。そして、王国の法を教え、それが支配する王国を、小さいながら、この地上に造っていく(つまり、天の王国と同質の空間をこの宇宙の中に作っていく)ーーーこれがKINGDOM原理からみた聖書の論理です。
聖書には、バプテスマのヨハネという預言者が出てきます。イエスがこの世で王国の法を教える活動を開始するのを、その直前に預言した預言者ということになっています。彼は、人々に
「悔い改めよ、天の王国は近づいた」(マタイ伝、3章2節)
と、宣言しています。
また、イエス自身も、教えを開始するに当たって、
「時が来た。創主の王国が近づいた! 悔い改めて、よき知らせ(福音)を信じよ」
(マルコ伝、1章15節)
と、宣言したと、聖書にあるのもそういうことです。
聖書の内容は、深淵広大にして膨大です。しかしKINGDOM原理から解読していくと、かくも簡単明瞭になるのです。