
前回の続きです。
イエスはまた、十字架にかけられる直前に、弟子たちにパンと葡萄酒を与えています。
そのとき「パンは私の肉、葡萄酒は私の血」といって、食べさせ、飲ませしています。
「最後の晩餐」と通称される有名な場面ですね。天才画家、レオナルド・ダ・ビンチもこれを描いています。
この場面は、マタイ伝(26章26節)にも、マルコ伝(14章22-4節)にも、
また、ルカ伝(22章19-20節)にも記されています。
これは、象徴的な場面でしてね。たくさんの証人がいるわけです。
だから、共観福音書では、みな、これを書くことになるのが自然でしょう。
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代表は「ルカ伝」でしょうね。そこでは~
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「私を記念するために、このことを行いなさい」(19節)
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~というイエスの命令も記されています。
今日、キリスト教会では通常、これに従って、いわゆる「聖餐式(せいさんしき)」を行っています。

<ヨハネは「聖餐命令」以外のことを書いている>
他方、ヨハネ伝では、これを記していません。
ヨハネは三つの共観福音書を読んだ後に、「これまで書かれてこなかったことを書くか・・・」
といって、イエスの伝記を書き始めたのですから。
代わりにヨハネは、そのときイエスが「弟子の足を、一人一人洗っていったこと」を、詳細に記しています(13章)。
イエスの片腕、助さんとして、いつもぴったり付き添っていたヨハネの面目躍如といったところです。
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書いてはいませんが、ヨハネはこの聖餐命令で、イエスが「私(イエス)の肉を食べ、血を飲む」
ということが、決定的であると示唆しています。
この場合は、「パン(肉の象徴)と葡萄酒(血の象徴)」を用いて、
シンボリックに、象徴的にやって示している。
なぜそうされるのだろうか・・・これも疑問として、ヨハネの心に残ったに違い有りません。
