以上に見たように、聖書では、パラダイスとは天国にイコールではないのですね。それは、天国よりは下方の、この宇宙の中のどこかにある、という思想です。
ヨハネ伝20章にも、それを示唆する聖句が記されています。
イエスをとりわけ深く信じて付き従った女がいます。マグダラのマリアといいます。
彼女はイエスが十字架死した後の三日目に、亡骸を葬った新しい墓に真っ先に行きます。そして、イエスの亡骸が墓から消えているのを発見するのです(20章1-2節)。
急いで、ペテロとヨハネに報告する。助さん角さんはお墓に走ります。そして、遺体のないことを確認して帰ります。
@ @ @
マリアは、ひとり墓の外に立って泣いています。と、その彼女に語りかける人がいる。復活したイエスです。イエスは、まず、墓の前で泣いているマリアに現れるのです。「おんなよ、なぜ泣いているのか・・・」 感動的なシーンです(11-16節)。
マグダラのマリアは、喜びのあまりイエスにすがりつこうとします。するとイエスは下記のように言った、とヨハネは記しています。マリアは弟子たちにその状況を説明します(18節)。それを聞いてヨハネは書いているのです。
「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから」(17節)
ーーーこれは、どういうことでしょうか。イエスは、その2日前に隣の十字架につけられた罪人を連れてパラダイスに行くと言っています。そして、2日目のこの日に「まだ、父のみもと(天国)に上ってない」というのです。
これすなわち、パラダイスは天国ではない、ということですね。
@ @ @
なのに、この頃我が国では、天国に行ったという言葉が大流行であります。
テレビの芸能ニュースなんかで、芸能人の親族の葬式がよく報道されます。報道陣に応対すべく入り口に出てきた芸能人さんがコメントする。「母は、今頃天国から私を見守ってくれています・・・」
その一方で、中から読経の声が聞こえてくる。お経を読むのは仏教です。仏教なら、極楽でしょう。それを何で天国というか。
天国は、キリスト教用語ですよ。なぁーんか、スマートなんでしょうかね、天国といった方が。お葬式も、ファッションなんですね、わがニッポン国は・・・。だけど、それでは、和式・洋式のナガサキチャンポン。いや、日本チャンポン・・・。
@ @ @
だけど、キリスト教だって、行っているのは天国ではありませんよ。聖書では、天国はこの宇宙が火で焼かれて消滅し、最後の審判がなされた後に、イエスの教えを信じた者が行くところです。それまでは、信仰の勝利者はパラダイスにいることになっているのです。
なのに、教会のお葬式に行くと「天国に凱旋されました」などと説教されるの多いですね。
これは、要するにですね、我が国では聖職者といわれる方々も、聖書をきちんと読んでいない。それを証明していることになりますね。その結果、ニッポンキリスト教とでも称すべき独特の教えがなされがちになるんですね。
ヨハネ伝20章にも、それを示唆する聖句が記されています。
イエスをとりわけ深く信じて付き従った女がいます。マグダラのマリアといいます。
彼女はイエスが十字架死した後の三日目に、亡骸を葬った新しい墓に真っ先に行きます。そして、イエスの亡骸が墓から消えているのを発見するのです(20章1-2節)。
急いで、ペテロとヨハネに報告する。助さん角さんはお墓に走ります。そして、遺体のないことを確認して帰ります。
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マリアは、ひとり墓の外に立って泣いています。と、その彼女に語りかける人がいる。復活したイエスです。イエスは、まず、墓の前で泣いているマリアに現れるのです。「おんなよ、なぜ泣いているのか・・・」 感動的なシーンです(11-16節)。
マグダラのマリアは、喜びのあまりイエスにすがりつこうとします。するとイエスは下記のように言った、とヨハネは記しています。マリアは弟子たちにその状況を説明します(18節)。それを聞いてヨハネは書いているのです。
「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから」(17節)
ーーーこれは、どういうことでしょうか。イエスは、その2日前に隣の十字架につけられた罪人を連れてパラダイスに行くと言っています。そして、2日目のこの日に「まだ、父のみもと(天国)に上ってない」というのです。
これすなわち、パラダイスは天国ではない、ということですね。
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なのに、この頃我が国では、天国に行ったという言葉が大流行であります。
テレビの芸能ニュースなんかで、芸能人の親族の葬式がよく報道されます。報道陣に応対すべく入り口に出てきた芸能人さんがコメントする。「母は、今頃天国から私を見守ってくれています・・・」
その一方で、中から読経の声が聞こえてくる。お経を読むのは仏教です。仏教なら、極楽でしょう。それを何で天国というか。
天国は、キリスト教用語ですよ。なぁーんか、スマートなんでしょうかね、天国といった方が。お葬式も、ファッションなんですね、わがニッポン国は・・・。だけど、それでは、和式・洋式のナガサキチャンポン。いや、日本チャンポン・・・。
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だけど、キリスト教だって、行っているのは天国ではありませんよ。聖書では、天国はこの宇宙が火で焼かれて消滅し、最後の審判がなされた後に、イエスの教えを信じた者が行くところです。それまでは、信仰の勝利者はパラダイスにいることになっているのです。
なのに、教会のお葬式に行くと「天国に凱旋されました」などと説教されるの多いですね。
これは、要するにですね、我が国では聖職者といわれる方々も、聖書をきちんと読んでいない。それを証明していることになりますね。その結果、ニッポンキリスト教とでも称すべき独特の教えがなされがちになるんですね。