<小ローマ>
ローマ政府は、首都ローマとのような都市を、征服して属領とした地域にも作っていきました。
それらの地域に、闘技場と大浴場をもった都市を建設した。そして、同じように食糧を備蓄し、パンとサーカスを提供しました。
その結果、帝国内の各地に、小型のローマ市が沢山出来ました。これらの都市は、「小ローマ」と呼ばれています。
こうした都市作りは、米国も大いに似ています。アメリカには、どこに行っても似たような都市があります。商業地区、行政地区、住宅地区が似たように配置され、図書館があり、コンベンションホールがあり、ホテルがあります。
ショッピングセンターがあちこちにあり、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどのファーストフッドがどの都市に行っても安く食べられます。それらを広くわかりやすい道路が結んでいます。
ローマ帝国被征服地の住民も、これを歓迎しました。前の統治者の時よりも、食べるのに安心が大きく、娯楽とリラックスがたくさんあります。
<むしろローマの属国を望む>
そういう風ですから、他の領主・王様に統治されている地域の人民も、むしろローマの属領になってもらった方が、暮らしがよくなるということを知っていきました。多くの人が、自分たちの領主がローマに征服されることをむしろ、望みました。
なかには戦になると、ローマ軍に情報を提供したり、ローマ軍に味方するものもでたようです。ローマは比較的容易に、属領を増やしていくことができました。そして、ここにも、速やかに小ローマの建設をしたわけです。
こうして、ローマ帝国の領土は、安定的に広がってついには、ヨーロッパ大陸全土と、今のイギリスをも含めた大帝国となりました。最盛期には東は中国との国境近くにまで至ったようです。
中国は支配下におさめられなかったのですが、当時としては人類の歴史に初めて現れた、世界統治国となりました。