鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.49『イエスはかまし、女は仰天する(4章)』

2005年01月21日 | ヨハネ伝解読

 本文、4章に戻りましょう。

 イエスは、「霊の食べ物」である“いのちエネルギー”のことをさして、水と言っています。サマリアの女は、肉体の食べ物であるところの、物質の水をイメージして受け取っています。

 すれちがいです。けれども、そんなことはイエスは百も承知。その上で言っているのです。

 「この井戸の水は、飲んでもまた、しばらくすると喉が渇くだろ? ところが、私があげる水は飲んだらもう渇きを覚えることはなくなるんだよ。それどころか、それは、あなたのうちで泉になる。そして、水がそこから永遠に湧き出るんだよ」(14節)と。

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 女は、まだ、物質の水のことを考えています。そりゃそうでしょう。誰だってそう思うはずだ。だから、こう応じます。

 「そんな水があるなら、私にくれませんか。そしたら、もう私はここに水をくみにこなくてよくなって大助かりです」(15節)

 チンプンカンプンの会話だ。だが、イエスは例によってかまわず、ここで一発かまします。

 「じゃあ、旦那さんを呼んできなさい」

 女は答えます。
 「私には夫はありませんけど・・・」

 そして、イエスはここで決定打を打つのです。
 「そうだろうな。あなたはこれまで5人の夫を持ってきたけれど、いま一緒に住んでいるのは、夫ではないからな・・・」(18節)

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 女は仰天してしまいます。この人は、私の過去をみんな透視している・・・。そして、こんな言葉が口をついて出ます。

 「先生、あなたは預言者です。わたし、それがわかります!」(19節)

 完全に、降参してしまいました。それまでは、彼女は、自分の常識、既成知識をベースに持って応答していました。ところが、ここで、それをもいったん横に置いておいて、いわば白紙の状態で耳を傾けるようになります。

 言い換えれば、素直な心、悔い改めの心に転じたわけです。しるし(奇跡)とは、こういう衝撃力を持つのです。今でも、しるしの力なしで初めての人に福音伝道をするのは、困難なことです。

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 さて、ここで他のカテゴリーとのつながりを若干つけておきましょう。この鹿嶋春平太チャーチには『KINGDAM原理からの聖書解読』という小部屋(カテゴリー)もあります。

 そこで、こういう問題を発してみます。「イエスはどうやってサマリアの女の過去を見たのであろうか?」と。

 通常は、神の子だから当然、といった程度に考えられてきています。「そりゃあ、神の子イエスさんのことだ、何でも出来るからね」と。

 しかし、もう少し具体的にイメージしたいとなると、「KINGDOM原理」が役に立ちます。このカテゴリーでは、春平太は、「天の創主の王国には、地上と対応する領域がありそう」と考えましたね。それが聖書の奥義ではないか、と。

 これからしますと、サマリアの女の結婚歴は、天にも対応したものが実現しているのではないか、となります。言い換えれば、天のハードディスクにメモリーされ、反復上演されているのではないか、と。

 もしそうであれば、イエスは天におけるそれを見て、女に語っていることになります。この解読は、筋が通るでしょうか? 他の聖句部分と論理的につながるでしょうか? 興味のあるところです。
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Vol.48のコラム『サマリヤ人は、混血ユダヤ人』

2005年01月21日 | ヨハネ伝解読

 聖書には、イエス時代のイスラエルを示した地図がつけられていることがよくあります。それをみると、ガリラヤとユダヤという二つの地域の真ん中に、サマリアという地域があります。まるで国を二分しようするかのように割って入っています。こんなことになったのは、歴史的なわけがあります。

 昔、アッシリアという国が強くて、大国になったことがあります。周辺の民族国家を併合して大国になりました。イスラエルも併合しました。その際、アッシリアは民族混合政策をとりました。併合した民族の民を移住させ、混合して住まわせ、民族間結婚をどんどんさせました。

 民族が血でもって別れていると、争いが起きる。混血して、みんな同じになったら殺し合うこともすくなくなるのでは、との理想から出たのでしょうか。とにかく、そういう政策を実行しました。その結果、ユダヤ人も、混血したのです。

 ところが、ユダヤ人のすべてがそうはなりませんでした。アッシリアは、ユダヤ国家の内、北のイスラエル王国だけを併合し、南の方ユダ地域のユダ王国については、国家として残しておきました。

 ユダ王国の南には、大国エジプトがありました。これと直接接していると、この強い国と国境で紛争が起きやすくなります。それが戦争に発展して、大被害を受けるかも知れません。そこで、両大国の間にイスラエル民族を挟んでおいたと推測されます。これがユダ王国です。

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 推定が正しければユダ王国は、緩衝地域として用いられたわけです。英語で言えばバッファーですね。現代史にも、この役割をした国家がありました。その代表がドイツです。世界の資本主義地域と共産主義地域との間のバッファー国家。

 欧州に東西に分かれた国がありましたね。東西ドイツです。バッファーはソビエト連邦の共産主義体制が崩れたら、いらなくなります。で、統合しました。いわゆる「ベルリンの壁崩壊」がそれですね。

 アジアでは、南北朝鮮国家やベトナム国家がそれでした。南ベトナムは北に併合されましたが、朝鮮国家は今も南北二つのままです。これらは、地政学的には緩衝地帯なのですね。

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 がともあれ、かくしてイスラエルには純血ユダヤ人も残りました。そして、アッシリア帝国が衰退した後、混血ユダヤ人たちは、ユダ王国の南、故郷の地ですね、ここに帰還してきました。これがサマリヤです。

 その後、サマリアのさらに北に、純血ユダヤ人の新開地が出来ていきました。これがイエスが育ったガリラヤ地域です。

 ガリラヤは、大阪で言ったら、キタ(梅田地区)ですね。ミナミは難波地区です。キタは今でも「北の新地」と呼ばれています。街としては難波が先に出来た。そして梅田は後に開発されたわけです。東京で言ったら、銀座・築地に対する八重洲地区ですね。

 ともあれこういう風に、イエス時代のイスラエルはユダ、ガリラヤという二つの地域で構成されていました。その間に、混血ユダヤ人のサマリア地域があったわけです。

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Vol.47『サマリアの女(4章)』

2005年01月21日 | ヨハネ伝解読

 4章に入ります。
 その冒頭で、ヨハネは有名な「サマリアの女」の話を書いています。

 もちろん、よく知られているのは、クリスチャンの間でのことです。が、そうでない人にも、この「サマリアの女」という言葉は耳にしたことのあるという人も、おられるのではないかと思います。

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 当時のイスラエルの中心は、三つの地域からなっていました。南の方から、すなわち、地図でいうと下の方から、順に、ユダヤ地方、サマリア地方、ガリラヤ地方です。ユダヤは聖都エルサレムのある、ユダヤ(イスラエル)国家の中心地です。

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 サマリアには、混血のユダヤ人がすんでいました。イスラエル人は彼らをサマリア人と呼んで軽蔑していました。ガリラヤは、イエスが幼少時代から育ったふるさとです。なお、他にも、ベレヤ、ツロ、ダマスコといった周辺地域もあります。

ついでに付言しておきますと、今でもユダヤ人コミュニティーでは、若者が他民族の相手と結婚すると、コミュニティーから出してしまいます。ハリウッド映画などに出てきて、自由恋愛するユダヤ人は、こうしたコミュニティーに属さない人々です。属する人から言うと、はずれユダヤ人とでも称すべき存在です。

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 ともあれ3章でヨハネは、イエスがこのユダヤ地域で活躍する様を記述しました。ここでのイエスの名声は高まるばかりでした。著者ヨハネの前の師匠であるバプテスマのヨハネは、相変わらず「悔い改めよ!」とバプテスマ(浸礼:水に沈めておこなう洗礼をそういいます)を授けています。ヨハネ教団は、大教団となっていました。

 一方、イエス教団でも、それをしていました。イエス自身ではなく、弟子たちが代わって浸礼を授けていました。そして、イエス教団は新興の小教団です。だがイエス人気はすごかった。それによって、イエス教団で洗礼を受けて弟子になる人の数の方が、洗礼者ヨハネ教団の方にに行く人より多くなっていきました。

 中小企業の方が、先発の大企業よりも、成長率においては高くなったのですね。そのことは国家宗教であるユダヤ教の指導者の耳にも入ります。かれらは、顔をしかめます。ヨハネ教団も、イエス教団も、既成の国家宗教にとっては、好ましからざる存在なのです。現支配体制を揺るがしますから。

 ヨハネ教団だけかと思ったら、さらに、イエス教団が現れた。こちらの人気はさらに鰻登り。もっと多くの民衆が洗礼を受け、弟子入りしてしまう。そして、イエスの教えを聞きます。その教えは、ユダヤ教の僧侶が教えていた教えを、根底から否定するものでした。彼らはイエス教団をマークし始めていくことになります。

 そこで、イエスは、ユダヤ地方をいったん離れる決断をします。そして、中間のサマリア地方を通って、故郷のガリラヤに向かいます。その途中で、かのサマリアの女に出会うのです。ヨハネは、イエスと彼女との会話を克明に記録しています。


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