本文、4章に戻りましょう。
イエスは、「霊の食べ物」である“いのちエネルギー”のことをさして、水と言っています。サマリアの女は、肉体の食べ物であるところの、物質の水をイメージして受け取っています。
すれちがいです。けれども、そんなことはイエスは百も承知。その上で言っているのです。
「この井戸の水は、飲んでもまた、しばらくすると喉が渇くだろ? ところが、私があげる水は飲んだらもう渇きを覚えることはなくなるんだよ。それどころか、それは、あなたのうちで泉になる。そして、水がそこから永遠に湧き出るんだよ」(14節)と。
@ @ @
女は、まだ、物質の水のことを考えています。そりゃそうでしょう。誰だってそう思うはずだ。だから、こう応じます。
「そんな水があるなら、私にくれませんか。そしたら、もう私はここに水をくみにこなくてよくなって大助かりです」(15節)
チンプンカンプンの会話だ。だが、イエスは例によってかまわず、ここで一発かまします。
「じゃあ、旦那さんを呼んできなさい」
女は答えます。
「私には夫はありませんけど・・・」
そして、イエスはここで決定打を打つのです。
「そうだろうな。あなたはこれまで5人の夫を持ってきたけれど、いま一緒に住んでいるのは、夫ではないからな・・・」(18節)
@ @ @
女は仰天してしまいます。この人は、私の過去をみんな透視している・・・。そして、こんな言葉が口をついて出ます。
「先生、あなたは預言者です。わたし、それがわかります!」(19節)
完全に、降参してしまいました。それまでは、彼女は、自分の常識、既成知識をベースに持って応答していました。ところが、ここで、それをもいったん横に置いておいて、いわば白紙の状態で耳を傾けるようになります。
言い換えれば、素直な心、悔い改めの心に転じたわけです。しるし(奇跡)とは、こういう衝撃力を持つのです。今でも、しるしの力なしで初めての人に福音伝道をするのは、困難なことです。
@ @ @
さて、ここで他のカテゴリーとのつながりを若干つけておきましょう。この鹿嶋春平太チャーチには『KINGDAM原理からの聖書解読』という小部屋(カテゴリー)もあります。
そこで、こういう問題を発してみます。「イエスはどうやってサマリアの女の過去を見たのであろうか?」と。
通常は、神の子だから当然、といった程度に考えられてきています。「そりゃあ、神の子イエスさんのことだ、何でも出来るからね」と。
しかし、もう少し具体的にイメージしたいとなると、「KINGDOM原理」が役に立ちます。このカテゴリーでは、春平太は、「天の創主の王国には、地上と対応する領域がありそう」と考えましたね。それが聖書の奥義ではないか、と。
これからしますと、サマリアの女の結婚歴は、天にも対応したものが実現しているのではないか、となります。言い換えれば、天のハードディスクにメモリーされ、反復上演されているのではないか、と。
もしそうであれば、イエスは天におけるそれを見て、女に語っていることになります。この解読は、筋が通るでしょうか? 他の聖句部分と論理的につながるでしょうか? 興味のあるところです。