鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.188『ヨハネ神学での三位一体』(13章)

2007年03月10日 | ヨハネ伝解読






~~前回の続きです。

 イエスは何故、弟子の足を自らの手で洗って、そして「諸君もこうしろ」と繰り返したか? この問題を解くには、多くの面から寄せるようにして考えていかねばなりません。本日はその準備作業のひとつとして、福音書著者ヨハネの三位一体観を考えておきます。


聖句は前回と同じです。

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=聖句=
 「主であり先生である私が諸君の足を洗いました。だからこれからは諸君も互いに足を洗い合わねばなりません」(13章14節)
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 イエスは、具体的にどういう状況を想定して、こういうことを言っているのでしょうか?
結論から言いますと、イエスなき後に教団が発展し、弟子たちが教える側に立ったときの状況だと思われます。

 どうしてか?
これには結構息の長い解読が必要です。
 本日はその為の準備作業をしておきます。

                    


 少し話を戻しましょう。
 3節でヨハネは~~

 「父なる創主が完全な力をイエスに与えられたとイエスは悟った」(13章3節)

  ~~と記しています。これを読むと「悟ったって? イエスは創主の子であって、創主と同じく全能者だったのではないか。なのに・・・」という疑問が、我々には湧いてきます。

                    


<イエスの洞察も創主から来る>

 しかし、ヨハネはそう見ていないのです。イエスの力も洞察も、父なる創主から「与えられて来る」ものなのだと彼は見ている。いつもそうだと観察しています。「人の子」イエスは洞察を、創主と意識を完全に同化させることによって、与えられているとみるのです。

 イエスは弟子の誰よりもよく祈っています。時には汗が血のようにしたたり落ちた。それほどに、全身全霊を尽くして祈っている。力も悟りもその結果だとヨハネは判断しているのです。

 それがヨハネ神学です。力の本源は、父なる創主のみにある。力とは「いのちエネルギー」の一側面ですから、いのちの本源は創主のみ、ということになります。ヨハネ神学では、イエスも聖霊も単独で生きる存在とはみていないのです。


                    

<ヨハネの三位一体観>

 創主のみが他者からいのちエネルギーを与えられることなく、独力で生きられる。イエスは、彼自身が言うように、創主の言われることをそのまま受けてこの世で語っている。聖霊もまた、イエスの語ることを受けてそのまま語り、証言し、行動する。

 これがヨハネの三位一体神学です。もっとも、三位一体という言葉は、彼よりずっと後で登場した神学用語ですけれども。これは聖書の中の用語ではありません。


                    

 ---ともあれ、そういうヨハネ神学から見ますと、イエスは祈りに祈って創主と意識波動が完全に同化できたときに、これから起きることもはっきり悟ったということになるでしょう。

 先ほどの3節でもって、ヨハネが短く記した聖句~~

「父なる創主が完全な力をイエスに与えられたとイエスは悟った」(3節)

     ~~はそういう意味だと思われます。

                       


<将来キリスト教団で起きること>

  イエスが悟ったことには、これから展開していくイエス(キリスト)教団の動向もあったのではないでしょうか。キリスト教団といっても人間が運営していく教団です。

 イエスは、これから十字架刑で殺されます。三日後に復活して、弟子たちに「地の果てまでこの教えを宣べ伝えよ」という宣教命令を与えます。そして教えを追加して、父なる創主の王国である、天国に帰っていきます。

 弟子たちは、自分たちだけで宣教をはじめます。にもかかわらず、教団は、一日に3000人が入会するというほどの大発展をする。直接の弟子たちは、瞬く間に大教団の大幹部になっていく---こういうことも祈りを通じて「悟る」わけでしょう。

 映像として見えたと解してもいいでしょう。そこでイエスは、この状況を想定して「下位者の足を洗う」という手本を示し、また語っているのでしょう。

 もちろん弟子たちには、そんなこと読めるはずもありません。彼らは、よくわからない漠然とした気持ちで聞いていたのでしょう。

 だが、そんなことはイエスにはお見通しです。だからペテロに~~

 「今は私のしていることが諸君にはわからないんだ。でも後でわかるよ」(7節)

      ~~といったのでしょう。


                    


コメント
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