鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.191『カトリック教団と対照させてみると』(13章)

2007年03月17日 | ヨハネ伝解読







 イエスが弟子の足を洗うことでもって示した組織編成方式の特徴は、後にローマの唯一国教となったカトリック教団と比較するとよくわかってきます。

~~聖句は前回と同じです。

                    

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=聖句=
「互いに愛し合いなさい。私が諸君を愛したように、諸君も互いに愛し合いなさい」(13章34節)
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この教団では最終権限を持ったトップがいます。それが教皇。彼はイエスの代理人ということになっていますから絶対的権威者です。そして、その権威を司教、司祭などに委譲しているう。そうして教団を運営してきました。この組織編成方式は、国家や企業のような世的組織のそれと同じものであります。


                    


 カトリック教団というのは、もともとは、キリスト教運動をする人々の中で、教団全体の運営に心を配る傾向の強い人々を中心にして出来ていった教団でした。こういう人々は、はじめはボランティア的に教団全体のために働きます。(それが後に、司教とか大司教とかいう立場を得ていったのです。)


 人間の集団には、そういう世話好きタイプの人はいるようです。東京にある有名私立大学では、母校を愛しその運営が心配でならない人々が任意で自然に集まっています。彼らは、次の大学長を誰にすべきか、なども熱心に話し合い、結論が出ると手弁当で運動し始めます。

 選挙権のある人々に根気よく働きかけていくのです。


 そして、大体、もくろみは実現されてきています。無報酬でやっていますから、説得力もその分あるのでしょうか。ともあれ、そうした彼らは、大学の名前を**と頭に置いた「**マフィア」などと言った名で呼ばれています。そう深刻でもない、半分ユーモアを込めた呼称です。


                    


  初期のキリスト教団にも、そういう人はいたんでしょう。イエスの直接の弟子(使徒)がいなくなった後の人々のなかにもいた。そうした人々が、教団全体を心配して、ボランティアー代表者としてローマ帝国との交渉にもあたります。


  そうしているうちに彼らは教団を階層的に組織化することを望むようになります。ローマ帝国当局との取り決めを守るためにも、そうい統率が取りやすい方式が欲しくなるのです。

 
 しかしそれを嫌う人々もたくさんいます。本来、キリスト教運動とはそういう方式でなかったのですから。

 
 すると世話志向の人々は独自に教会を造って運営するようになります。そうなれば彼らの導く教団は分離していくことになる。これが後にカトリック教団になります。

                    


 キリスト教運動は紀元後313年には公認宗教となります。だがこの時ローマ帝国が対象としていたキリスト教団とは、統率のよくとれたカトリック教団でした。紀元後392年に帝国の唯一国教となったのもカトリック教団そのものなのです。


  唯一国教となったときカトリック教団は、ローマ帝国という、世的な統治体の一部を構成して宗教省のような役割を果たすことになりました。するとますます、世的な組織編成原理をとって行かざるを得なくなるんですね。

 
 この教団が、教皇という独特の最高権威者(オウナー社長のよう、といったらいいかな)を持つようになっていくのも、そうした背景の中での出来事でした。


                    

コメント
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