「稲盛『哲学』と聖書の思想」第8回です。
稲盛さんは、人間についてさらに次のように考えます。
<人は脳細胞と意識体から成っている>
~~人間は、脳細胞(脳神経系)と意識体(精神・霊)からなっている。だから肉体の死は、意識体が肉体から離れるだけのことだ、と。
(たぶんここでは心霊科学を学んで得られた知識をも援用されているのではないか、と思います)。
<意識によってDNAも変わる>
そして生存中の人間の意識と肉体については、こう述べています。
~~何十兆という細胞が、われわれの意識によって、活性化されたり衰えたりする。
意識のありかたが、想像以上に大きな影響を人間に与えるのだ、というのは、松下幸之助さんと同じです。
が、稲盛さんは、更に進んでこんなことも言っています。
意識によって、DNA(遺伝子)も変わる。
動物もそうであって、キリンの首が長いのは、長くなりたいという意識がDNAに影響してきて、そうなった、と。
稲盛さんは進化論は不完全だと考えるのです。
進化論では適者生存の論理が柱です。たまたま長い首が生存するのに適していたから、キリンの首は現在そうなっていると考えます。しかし稲盛さんは、「それならその地域にいる動物はみんな首が長いはずだ」というのですね。だから進化論は不完全だと考えるのです。
<人生の目的は意識体を高めること>
稲盛さんの考えですと、結局、重要なのは意識体のあり方だ、ということになります。
これは聖書と共通しているところでもあります。聖書では稲盛さんの言う「意識体」を「霊」といいますが、結局は永続する霊のあり方が肉体より大切だという基本思想をもっていますし、肉体のあり方は基本的に例のあり方でもって決まるとしていますから。
そのことを、稲盛さんは、科学の知識をもちいて、DNAがどうなる云々と、もっと具体的に考えられているのですね。
ともあれ、そうした考えを背景にして、稲盛さんの思考は焦点に向かいます。すなわち「この世と、そこでの人生の目的は何か」について稲盛さんはこういうのです。
~~この世での人生の目的は、意識体が肉体の中にあるうちにその精神を「高める」ことである。
ジャーン、出ましたよ、稲盛さんの人生の究極の目的論が。
そして、こう言われます。
現世はそのための「修練の場」である~~と。