
「稲盛『哲学』と聖書の思想」第16回です。
「肉体を守ろうとする食欲は、自然なままでは貧(トン)に向けて成長していく」
ということを推測させる事例を考えてみましょう。

<一人っ子は「独り占め」気質>
身近な例の一つに一人っ子の性格があります。
「一人っ子は独占欲が強い」といわれてきました。
鹿嶋も、そういう事例を沢山みてきました。
だが、どうしてそうなるのかがはっきりしませんでした。
「一人っ子は何でも自分だけのものになる環境で成長してくるから」というのは、
明確なようで実は漠然としたところを含んだ理由です。
なぜなら、それですと「その人の中で独占欲という欲望が新しく出現して育ってくるのか」
あるいは「人間すべてにある欲望が独占欲という姿になるのか」が明確でないからです。

<稲盛哲学では>
稲盛さんの人間心理把握は、後者であるという立場に明確に立っています。
~~まず、みんな、肉体を維持するために食欲という欲望を与えられている。
それは放置していくとストレートに成長して貧(トン:すべてを我がものにしたいという妄念)に到る。
しかし、兄弟姉妹の多い中で育つと、幼い頃から「分かち合う」という必要に立たされそれを実践する。
その結果、食欲がストレートに貧(トン)に到ることがなくなる。
・・・そういうことになります。
つまり、兄弟姉妹の多い人は、幼いときからそういう「修行」をすることによって、
食欲があるレベルから「人と分かち合う」という性質の精神に進化していくわけですね。
~~逆に一人っ子は、そういう「修行」をするチャンスに恵まれない幼少を送る、と理解できるのです。
鹿嶋にはこの説明でもって、「一人っ子の独占欲」が現実感(リアリティ)の高いものとして認識できました。

従来、何故そうなるのか、漠然としていました。
仏教というのは、人間心理の深奥にどんどん入っていく哲学(心理学でもある)なんですね。
聖書の世界にはない特性です。
