「稲盛『哲学』と聖書の思想」第11回です。
稲盛さんは、聖書と共通した論理を展開しながら、人生の目的は 「精神を高める」ことだ、と結論しましたよね。
「現世という修練の場で」精神を高めていくのが人生の究極目的だ、と。
~~今回は、その次からです。
「目的はこれこれ」というのは単なるスローガンです。
稲盛哲学の神髄は「実践性」にあります。
稲盛さんは、その内容を実践的・具体的に考えていきます。
<仏教の智慧を援用>
その際、稲盛さんは、一転して仏教の智慧にむかいます。
精神の内容、レベルを仏教の「煩悩」という思想でもって捉えようとします。
煩悩とは、「人間の心身を煩わせ悩ませるいっせつの妄念」を意味しています。
これから脱却した境地が「悟り」です。
完全な意味での「悟り」には人間は容易に行き着くことが出来ません。
だが稲盛さんは、煩悩に大きくとらわれている状態が低い状態であり、
それに対処できていく程度の応じて「高い」状態になっていくと把握するのです。
<六大煩悩>
仏教では煩悩の種類はきわめて多い、としています。
「108煩悩」「84000煩悩」といった言葉もあります。
だが、それらの根本的なものは6つあると洞察しています。
それを「六大煩悩」といい、次の如きものです。
1.貧(とん)=何でも我がものにしようとする貧欲な妄念
2.瞋(じん)=自分の勝手な振る舞いで怒るような浅ましい妄念。
3.癡(ち))=無常である世の中を「変わらない」と考え、不平不満を鳴らす妄念。
4.慢(まん)=傲岸不遜な妄念。
5.疑(ぎ)=シャカの説く真理を疑う妄念。
6.見(けん)=物事を悪い方に、悪い方にと見ていく妄念。
そのうち貧(とん)、瞋(じん)、癡(ち)は、人間の持つ根源的な煩悩で
「三毒(さんどく)」といわれています。
鹿嶋が知る、浄土宗のお寺で生まれ育った人は、これをリズムを付けて「トン・ジン・チ」といっています。
子供の頃から、実家でそう教えられて育っているのですね。
でも、その意味はあまりわかっていないようです。
それで「人間の煩悩はトン・ジン・チ、やで・・」とやっている。
「やで・・」というのは関西弁です。
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