「稲盛『哲学』と聖書の思想」第25回です。
このテーマでの話も、終わりに近づいてきました。
前回、稲盛さんの運命観を考察しました。
今回は聖書の運命観をみる番です。
通常、世界が将来どうなるかは、聖書の言葉に記されている。
だから、人生を決定しているものを人間は知ることができるのだ、と考えられています。
すると、「それを知って相応に対処すれば、人生のことはある程度変えられるのだ」
という考えになります。
あるいは、所与の力が、人間の努力では対処できないものだとしても、
それがどういうものかは、聖書という書物のおかげで、知ることができるのだ、と。
<隠された「創主の意図」もある!>
ところが、聖書を詳細に見ていくと、どうもそうとばかりはいえないようです。
聖書そのものの中に、創造主が知らせない創主の意図もある、といっているところがあるのです。
次の聖句をご覧ください。
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「隠されていることは、私たちの神、エホバのものである。
しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、
私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」(申命記、29章29節)
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ここで「現されたこと」とは、聖書(旧約聖書)に言葉として記録されたことでしょう。
これは「私たちが、その教えの言葉のすべてを行うためのもの」となっています。
いわゆる「みことばに従順する」というのはこれですね。
ところが、それ以外の事柄もあると、聖書はいっているのです。
それが「隠されていること」なのですね。そしてそれは「エホバのものだ」といっています。
<御子イエスにさえも・・>
「聖書で知らされてはいない事柄もある」、という趣旨の聖句は春平太にはちょっとショックでした。
でもそれは人間に対してだけではないのですね。
創主の御子とされているイエスに対しても、父なる創造主は知らせないことがある、という。
たとえば7年間の大艱難が始まる時期がそれです。
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「その日、その時は、誰も知りません。天の御使いたちも、また子も知りません。
ただ父だけが知っておられます」(マタイによる福音書、24章36節)
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これはいわゆる7年間の大艱難が起きることをイエスが知らせた場面での、彼の言葉です。
イエスは将来それが起きることは知っています。だから起きると言うことは、弟子たちに教えています。
だがなんと、「それがいつ起きるかは、自分も知らない」、というのです。
こうなると少しは気も休まります。ましてや人間においておや、ということでですね。
<どう対応したらいい?>
では我々は「聖書でも知らされていないこと」に対してどう対応していったらいいでしょうか。
まずとにかく「隠されていること」に関しては、われわれはそれを理解することもできませんよね。
認知できませんから、それに対して祈ることもできません。
大変だ。これは人間の祈りの対象にもなっていないのですから。どう考えたらいいでしょうか。
まず知るべきは「これは人間が祈ろうと祈らなかろうと、主の意志としてなされること」
だということではないでしょうか。
あるいは、「ある時がきたらそれは明かされるかもしれない」と思いましょうか。
死ぬときとか、死んだときとか、あるいは天の創主王国にたったときとには、明かされるかもしれない、と。
・・だが、そうでないかもしれません。
では、人間はどうしたらいいでしょうか?
答えはただ一つ、「トラスト・ゴッド!(創造主を信頼せよ)」ではないでしょうか。
知らされないけれども、聖書に現された範囲のことに沿って生きれば、父なる創造主はよきに計らってくださる
~~どうも、こう信頼するのが聖書信仰の核心のようです。
<残るは「創主を信頼する」のみ!>
で、つまるところ聖書の運命観はどうか、となると、それは次のようになるのではないかな?
~~「聖書にも記されていない神秘がある」、となれば、
人間個々人の人生はその領域からあらかじめ計画されているのかもしれない、ことになりましょう。
そしてその可能性がある限り、人には「宿命」という意味での運命があるかもしれない。
~これが聖書の運命観になると思われます。う~ん・・・。
でも「トラスト・ゴッド!」
創造主を信頼しよう!
答えはこれになってしまいますね。
この言葉を大切に致します。ありがとうございます。
主からの祝福があふれますように、また健康も守られますように・・・アメリカよりお祈り致します。
よきクリスマスを迎えておられますか?
イエスという方は、知れば知るほど「信頼してすすみさえすればいい」、ということがわかってくる方ですね。
その面からしたら、キリスト教伝道は簡単ですね。「聖書を調べ、イエスを知るのを助ける」だけ。
ホントに簡単です。