同じハフマンバプティスト教会のティム主任牧師です。
執事会で基本方針を述べているところです。
写真は2004年当時のものですが、その7年前に彼はこの教会に着任しました。
他の教会にいたところをスカウトされてきました。
サザンバプティストの教会では、教会を経営するのは信徒の中から選ばれた執事さんたちです。
執事会では、現在契約して働いてもらっている牧師について、期限が切れたら再契約すべきかどうか、かなり前から審議します。そして、再契約しないと決めたら、新しい牧師のスカウトに乗り出すのです。
まず、牧師選考委員を数人選んで、選考委員会を造ります。選ばれた委員会は、なるべく近いサザンバプティスト連盟の支局に出向いて牧師の資料を見ます。支局には現在就任中の牧師や休職中の牧師の全資料がファイルされています。
ハフマンバプティスト教会の委員会は、その中からまず60人を選びました。次にそれらを好ましい順番に序列付けしました。これと思った人については実際に働いている教会の礼拝に行って、その説教を聞いたりしました。
そして上位3人を候補者として、一位から順番に交渉を試みました。3人選ぶのは、上位の牧師がすでに次に行くところが決まっていたり、あるいは断ってきたりすることがありうるためです。
委員会は、他の教会で働いていたティム牧師を一位にノミネートしていました。彼らは、給与を始めとする諸条件を提示して交渉を開始しました。
ティム牧師は、条件には満足しましたが、決める前にハフマンバプティスト教会で一度説教してみることを要望しました。自分の説教にその教会の会衆がどのように反応するかを確かめたかったのです。やってみてこれならいけそうだと判断して契約し、7年前に就任したのでした。
鹿嶋のみるところ、非常に気配りが細かく、説教も信仰心に充ちた情熱があって、リーダーシップもあり、優れた牧師でした。60人の候補者の中の第一位だっただけのことあるなあ、という印象でした。また彼は就任してすぐに、赤字だった教会財政の立て直しに着手し、2年の内に黒字化したということでした。
では、牧師を引き抜かれた教会はどうするかといいますと、これもまた新たに牧師のリクルートに入ります。引き抜かれたら自分らも引き抜く、というのが常識なようです。こうやって優れた牧師はだんだんと好条件な教会に動いていくことになります。
+++
逆に、お呼びのかからない牧師はどうなるかと言いますと、休職になります。教職者としては失業状態になるわけですね。その期間中、彼等は小売店の店員として働いたり、絵画のセールスマンをしたり、いろんなことをします。
ベトナムやイラクなど戦場で従軍牧師が募集されると、応募するのは多くはこの人々なようです。もちろん、信念で戦場に赴く人もいるでしょう。米国独立戦争時には、バプティストの牧師にこういう人が多かったと伝えられています。が、現代では、従軍牧師の多くは教職としては失業中だった人が多いようです。
鹿嶋は、この類の人で元ベトナム従軍牧師だった方に話を伺ったことがありました。現場の目撃者であった彼の話では、若い米国兵たちの状態は悲惨だったようです。
どういったらいいか、戦後の米国は豊かで自由ですから、その社会で育ってきた若者は、要するにボンボンなわけです。日本流に言えば、いいとこのボンボン。これが突然、殺戮のジャングルにぶちこまれるわけですから、もうなにがなんだかわからない。身体的だけでなく、精神的にも悲惨な状態になるわけです。
彼は、具体的に説明しようとして言葉を詰まらせ、描写しきれまませんでした。
「まあいい・・、彼等はああいう運命に生まれついてきていたんだ・・・」と、自分の気持ちを整えるのがやっとでした。従軍牧師は、軍医たちと同様に、前線から一歩下がった位置にいますので、前線現場のありさまが一番よく見える存在なのですね。
休職牧師とはいえ、この人は、聖書やその他の知識を多く持っていました。教会の牧師に求められるのは、知識の他に、リーダーシップとか教会員への愛情とか、人なつっこさとか、いろんな資質があるようですね・・・。
+++
話を戻します。
この教会では、主任牧師は7年間働いたら3ヶ月の研究休暇を与えることになっていました。ティム牧師は8月半ばから11月半ばまでをその研究休暇にあてていました。
執事会で基本方針を述べているところです。
写真は2004年当時のものですが、その7年前に彼はこの教会に着任しました。
他の教会にいたところをスカウトされてきました。
サザンバプティストの教会では、教会を経営するのは信徒の中から選ばれた執事さんたちです。
執事会では、現在契約して働いてもらっている牧師について、期限が切れたら再契約すべきかどうか、かなり前から審議します。そして、再契約しないと決めたら、新しい牧師のスカウトに乗り出すのです。
まず、牧師選考委員を数人選んで、選考委員会を造ります。選ばれた委員会は、なるべく近いサザンバプティスト連盟の支局に出向いて牧師の資料を見ます。支局には現在就任中の牧師や休職中の牧師の全資料がファイルされています。
ハフマンバプティスト教会の委員会は、その中からまず60人を選びました。次にそれらを好ましい順番に序列付けしました。これと思った人については実際に働いている教会の礼拝に行って、その説教を聞いたりしました。
そして上位3人を候補者として、一位から順番に交渉を試みました。3人選ぶのは、上位の牧師がすでに次に行くところが決まっていたり、あるいは断ってきたりすることがありうるためです。
委員会は、他の教会で働いていたティム牧師を一位にノミネートしていました。彼らは、給与を始めとする諸条件を提示して交渉を開始しました。
ティム牧師は、条件には満足しましたが、決める前にハフマンバプティスト教会で一度説教してみることを要望しました。自分の説教にその教会の会衆がどのように反応するかを確かめたかったのです。やってみてこれならいけそうだと判断して契約し、7年前に就任したのでした。
鹿嶋のみるところ、非常に気配りが細かく、説教も信仰心に充ちた情熱があって、リーダーシップもあり、優れた牧師でした。60人の候補者の中の第一位だっただけのことあるなあ、という印象でした。また彼は就任してすぐに、赤字だった教会財政の立て直しに着手し、2年の内に黒字化したということでした。
では、牧師を引き抜かれた教会はどうするかといいますと、これもまた新たに牧師のリクルートに入ります。引き抜かれたら自分らも引き抜く、というのが常識なようです。こうやって優れた牧師はだんだんと好条件な教会に動いていくことになります。
+++
逆に、お呼びのかからない牧師はどうなるかと言いますと、休職になります。教職者としては失業状態になるわけですね。その期間中、彼等は小売店の店員として働いたり、絵画のセールスマンをしたり、いろんなことをします。
ベトナムやイラクなど戦場で従軍牧師が募集されると、応募するのは多くはこの人々なようです。もちろん、信念で戦場に赴く人もいるでしょう。米国独立戦争時には、バプティストの牧師にこういう人が多かったと伝えられています。が、現代では、従軍牧師の多くは教職としては失業中だった人が多いようです。
鹿嶋は、この類の人で元ベトナム従軍牧師だった方に話を伺ったことがありました。現場の目撃者であった彼の話では、若い米国兵たちの状態は悲惨だったようです。
どういったらいいか、戦後の米国は豊かで自由ですから、その社会で育ってきた若者は、要するにボンボンなわけです。日本流に言えば、いいとこのボンボン。これが突然、殺戮のジャングルにぶちこまれるわけですから、もうなにがなんだかわからない。身体的だけでなく、精神的にも悲惨な状態になるわけです。
彼は、具体的に説明しようとして言葉を詰まらせ、描写しきれまませんでした。
「まあいい・・、彼等はああいう運命に生まれついてきていたんだ・・・」と、自分の気持ちを整えるのがやっとでした。従軍牧師は、軍医たちと同様に、前線から一歩下がった位置にいますので、前線現場のありさまが一番よく見える存在なのですね。
休職牧師とはいえ、この人は、聖書やその他の知識を多く持っていました。教会の牧師に求められるのは、知識の他に、リーダーシップとか教会員への愛情とか、人なつっこさとか、いろんな資質があるようですね・・・。
+++
話を戻します。
この教会では、主任牧師は7年間働いたら3ヶ月の研究休暇を与えることになっていました。ティム牧師は8月半ばから11月半ばまでをその研究休暇にあてていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます