鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

霊感の豊かな人

2006年07月30日 | キリスト教活動の歴史
~~また臨時版です。
・・・霊感の豊かな人っているんですねぇ。

http://blogs.yahoo.co.jp/kyo46912/14506086.html

こういう方が、みことばを深くやられたら大きな働きをする人になられるでしょうね・・・。 鹿嶋
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4 コメント

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ありがとうございました (KYOKO.N)
2006-08-18 01:50:23
遅れましたが、トラックバックありがとうございます。私の教会は札幌のすすきのの外れにあります。この地に導かれたのも、主はご計画あっての事と確信しています。主人とともに20年程前から祈ってきて、私が与えられた御言葉、預言、幻などを書き留め、事あるごとに読み返しています。ところで先生は、中島牧師とお知りなのですか?師とは以前同じ教会に通っていて、夫婦で存じ上げています。
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世の中狭いですね (鹿嶋春平太)
2006-08-19 23:28:06
アンディ中嶋さんとは、1997年以来の知り合いです。イエスを間に挟んだ友人という感じです。1997~8年にかけて、私はアンディの勤務しているミシガン州のホープカレッジという学校に滞在しました。英語に苦労しつつ「国際マーケティング戦略」という講座を担当しました。その間にあることから、私に聖書関係の著書があることがわかって、クリスチャン教師の間で一寸した騒ぎとなり、聖書に関する話をしろということになりました。神学関係の話を英語でするのはシンドイので、通訳付けて日本語でできるのなら、と応じました。その通訳をしてくれたのがアンディさんで、以来お世話になりっぱなしです。同じ教会に通っておられたとは、世の中狭いですね。KYOKOさんの霊感に与えられた幻、言葉など、とても興味があります。きっと中嶋さんも読みたいと言われるでしょう。代表的なものでもブログに掲載できませんか?そぐわなければ、私のこのブログのコメント欄に記していただいても幸いですが・・・。

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本当に不思議ですね! (KYOKO.N)
2006-08-20 21:46:55
 早々のお返事ありがとうございます。中嶋先生とは以前同じ教会で、彼が高校生だったときの英語の教師(現・宣教師)が、私の主人(牧師)と中学時代からの同級生だったこともあり、奥様共々、昔からの友人です。

 ついこの間、始めたブログで鹿嶋先生とこの様にお知り合いになれたことに不思議な導きを感じます。私達は、明治初期から、公的な遊郭として始まり、現在にいたる迄歓楽街として続いているススキノ地区にての宣教を導かれ、幾つかの教会とネットワークを立ち上げ、その暗く哀しい血の歴史の上に神様の御業があらわされるべく、リバイバルのために、日々祈っております。大きな問題に直面し、飢え渇き祈っているうちに、二十年ほど前から、「あなたがたのうちにナジル人を起こす」との言葉が導かれ、言葉で祈った後、「神様どうぞ語って下さい」と静かに委ねると徐々に、直接聖書の箇所や絵(幻)や励ましや慰めの言葉をいただく様になりました。私たち夫婦は頂いている賜物が違うので、私が与えられた物を主人が打ち込みまた、それについての解き明かし等をするという次第です。もちろん、個人的な思いも入る可能性があるので、完全な物ではないし、吟味は欠かせませんが。その積み重ねが多くなり、御旨が示され、体でそれを感じるようになってきて、ふり返るとそんな経験が沢山ある事に気付きました。勿論、個人的な事についての事もありますが、何処まで何を…、と考えると、どの様に順序立てていったらいいか考えあぐねています。私の深いところでは、このブログで少しでも励ましが与えられ分かち合えるのを願って始めた事なのですが…。(そういう促しがあった気がする)身近なところからこの間のシリーズとして続けていこうかなと思います。(主の臨在にふれた事など…)長くなりました。アドバイスがあればお聞かせくださいね。  





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肉体を離れた霊への福音 (鹿嶋春平太)
2006-08-22 00:23:52
ススキノがそういう歴史を持っている地とは初めて知りました。その地を歩いていて、その種の霊感を受けられることありますか?

 そういう地で宣教をするとなると、鹿嶋でしたら、薄幸の中で死んでいった娘たちの霊は福音を受け入れて生きる可能性はあるかどうかがまず関心事になるでしょう。このブログで連載している「ヨハネ伝解読」では、11章25節を吟味した結果、可能性有りという解読になりました。アドバイスというより、ご参考になれば・・・といったお話ですが。

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