~~みなさん、しばらくお休みいただきました。
鹿嶋です。
もう少し「百ゼロ思考」「ゼロ百」意識に関する考察を続けます。
日本人の「ゼロ百」意識はサリン事件の原因にもなっています。
これを起こしたオウム教団には、いわゆるエリート大学生、大学院生がたくさん働いていて話題になりましたね。頭のいい若者がどうしてこんな宗教教団に誘引されたか、ともみんな不思議に思いました。
+++
だが、ここにも「ゼロ百」意識が働いているのです。
日本人一般の戦後の宗教意識はほぼ完全な「百ゼロ」ないしは「ゼロ百」思考でした。
霊的な事実などあるはずがない、とゼロで考えていました。
これは合理的な考え方ではありません。
見えないものが存在するかしないかは、見えないからわからないわけです。
わからなければ、見えない存在があるかないかは合理的には五分五分でしょう。
存在しない確率は50%です。
彼らは学校でそういう論理を学んでいるはずです。
なのに、霊的な事象に関しては確率をゼロに見積もってしまう。
そうなる理由は、宗教に関しては「ゼロ百」意識が心の底にあるからでしょう。
+++
その状態で若者たちは、教団に接触して若干の霊的体験をさせられた。
彼らは当初、ゼロ状態で耐えます。
そんなこと起きないはずなのに・・・と。
しかし、耐えられなくなると一気に百にいってしまった。
ゼロ百は、途中がないので、ゼロでなくなると突然、百にコロンといってしまうのです。
ああいう教団に入っていたら、時々「変だなぁ~」ということにも出会うでしょう。
でも、その体験を踏まえて変化することが出来ません。
「ゼロ百」では、百でなくなるということはゼロになってしまうことになります。
心理的にそこまでは行かれないので、若者たちの意識はまた百に戻ってそこに留まることになります。
それで、多くの殺人犯罪を犯すまでいってしまいました。
「ゼロ百」意識は日本人の宗教的純朴の原因になっています。
それがあるからどんなに学問をしても、宗教意識は成熟していくことがないのです。
これへの対策は、その「ゼロ百」意識を自覚することです。
そうしたら始めて、変わっていく可能性、成熟する可能性が生じます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます