日本(宣教)年の話には続きがあります。
しかし、本日は中断して昨日の日記を書きますね。
春平太は大学のゼミをここ30年余にわたってしてきています。
1期生はもう50代後半という年齢に達しています。
その年寄り世代である1期生から4期生までの9名が、品川の隣の大崎で食事会をする。
出てこいと言うことで行って楽しんできました。
大体、歳月を経てもこうやって集まる仲間は、何か精神的に共有するものがあるから続きます。
鹿嶋が一貫して刷り込んできているゼミの精神に共鳴するところが比較的多い連中が集まり続けます。
1期生から4期生まででOBは100名弱いますが、あまり共鳴するところの無かった人々は、
専門知識を学んで卒業したらそれでおさらばです。
人間ですからそういうケースも十分あるわけで、
その場合はまた各々独自な小集団で精神的な共鳴どころを持って生きていくことになるでしょう。
で、昨夜の9人は比較的鹿嶋になつくというか、親近感を濃くもつOBたちでした。
だから鹿嶋もいい気持ちですっかり楽しんじゃった。
それでも鹿嶋のこのブログを読んでいる人間は一人だけでした。
あとは、そんなことに興味はない、ただしばらくぶりで指導教師に会いたいという、人々でした。
鹿嶋はそういうことは承知でしたので、みんなが喜ぶのは昔に戻ることだ、と
ゼミに入った若き頃の写真を貼った会員カードを掘り出して持参しました。
それを眺めてみなひとしきり昔を語り、ゼミの精神を議論したりわいわいやったわけです。
で、それはそれでよかったのですが、ブログを読んでくれている一人が
そこ(このブログ)で展開されている鹿嶋の精神世界のことをたずねました。
これはゼミ精神とは別の精神世界のものです。
なんといったらいいか、ゼミ精神とは鹿嶋の言う「物理的イメージ世界」すなわち「いずれ消滅する無常世界」の中で、
「いかによく生きるか、知を伸ばすか」のコンポンを説く精神です。
他方、鹿嶋がこのチャーチで展開しているのは、聖書が提供する「純イメージ世界」すなわち、永続するイメージ世界です。
これを吸収し、それに高いリアリティを感じるようになったら、人生意識の根底を流れる暗さは吹き飛んでしまう。
これを身につけたら精神も知性もさらに活性化するし、肉体も根底から若々しくなるよ、というイメージ世界です。
で、会が終盤にさしかかったとき、リクエストにお答えしてそれを語ったのでありました。
曰く・・・
~~この仲間(当日出席できなかったものもいて、もう少し多数)はすばらしい。
こうしてみんなでしばしば集まり、旨いものを食べ、飲んで語り、定例のゴルフ会をしていたら
人生の苦しみも解消するだろう。
~~しかし、これはいずれ終わっていく世界だ。
諸君の年齢からして、もうしばらくしたら愛する仲間の一人が欠け、また一人が欠けていく。
その寂しさはこれまでかつて味わったことのない、恐ろしいものになるだろう。
そしてそれは必ず来るし、諸君らももうすぐ目の前だ。
~~諸君は「それはいい、それで仕方ない、人生とはそういうものだ」と思っているだろう。
鹿嶋も諸君を指導している頃はそうだった。
しかしいま石川君(ブログを読んでいるという只一人のOB)がたずねた世界は、終わりのない永続イメージ世界だ。
~~これは物理的イメージ世界をどんどん展開していった延長上にあるというものではない。
手のひらの側に物理的イメージ世界があるとしたら、永続する世界のイメージは手の甲の側にあるものだ。
別次元のイメージ世界。
これをも身につけ、それにリアリティを感じるようになったら、諸君にはもう絶望はなくなる。
肉体がどんなに衰えても希望があるイメージ世界がある。
聖書はそれを提供してくれてる言葉の集合体だと思ったらいいんだ・・・。
こう語り始めましたら、新しい現象が起きました。
テーブルを囲んで焼き肉を食べていたのですが、鹿嶋の向かい側にいた二人が突然コクンと眠り始めました。
これ、聞きたくないから寝たふりをしたのでなく、本当にコンコンと頭をたれて眠り始めました。
話し始めた殆ど瞬間にです。
他の2~3人は、「言ってることがよくわからん・・」といって別の空いたテーブルに行って休憩を始めました。
石川君は気をもんだ様子でしたが、鹿嶋には想定内のことで驚きはありませんでした。
とつぜん眠り始めたのは霊的な現象です。聖書に示唆されているとおりの現象。
「わからない」と言ったのは、今まで思ってみたこともない世界の話なので、理解が出来ない。
酒も原因してたでしょうが「ああ、先生また宗教の話し始めた・・・。もう呼ばなきゃよかった・・・」といったところでしょうか。
これがニッポンです。
鹿嶋の教え子として、心を通じ合ってきた、人生経験豊かなグループでもってしてこれです。
日本には古来より、無常イメージ世界しか意識にありませんでした。
ということは、世界とはすべてそういうもの、と思って一片の疑いも持たないことです。
そこでそれを「覚悟」し、その中で、生きている間の喜びを最大化しようと人民こぞってあれこれ工夫してきた。
そのうち多くに歓迎されたものは商品になり、常時生産可能になる。
そういう商品が豊富に蓄積されてきた世界にもまれなる国が日本なのですね。
食べ物は旨いし、酒は旨いし、それが庶民も味わえるほどの価格で提供されているし、
ネエチャンはきれいかどうか知らないけどテレビは笑わせたり心配させたりさせてくれるし、
演歌は慰めてくれるし・・・。よき仲間作りも出来る人は出来るし・・・。
狭いながらもマンションという名のアパートに都市部で住めば、生活は便利だし・・・。
それでなんとか一生涯百年くらいの間は、やっていかれる。
(上記の条件が欠けた人が、自殺するのでしょうが・・。この人生は死と背中合わせの人生ですから)
心の底で、「どうせ死んでおしまい」という虚無を持ちながら、なんとか生涯を送って消滅できていくのですね。
これが日本で福音が浸透しない基礎原因でしょう。
福音なしでも、百年くらいはやって行かれる・・・という環境状況。
その上に、牧師さんをはじめとする伝道者の知的・霊的無力が乗っかってるといった風景でしょう。
一人が言いました。
「先生、そういう話現役のゼミ学生にするんですか?」
鹿嶋答えて曰く。
「するはずねえじゃねえか。俺の精神に共鳴し、長年にわたって交流してきた君たちにしてこうだ。
まだ先の長い若いのに話したってわかるはずねぇよ」
石川君は、このギャップを何とか埋めて師弟関係のレベルを上げたいと、
これまでも一人気をもんできたようなのですが、これが日本なのでしょうね。
さあ・・・「心の癒し」さん。
どうする? どうする?
しかし、本日は中断して昨日の日記を書きますね。
春平太は大学のゼミをここ30年余にわたってしてきています。
1期生はもう50代後半という年齢に達しています。
その年寄り世代である1期生から4期生までの9名が、品川の隣の大崎で食事会をする。
出てこいと言うことで行って楽しんできました。
大体、歳月を経てもこうやって集まる仲間は、何か精神的に共有するものがあるから続きます。
鹿嶋が一貫して刷り込んできているゼミの精神に共鳴するところが比較的多い連中が集まり続けます。
1期生から4期生まででOBは100名弱いますが、あまり共鳴するところの無かった人々は、
専門知識を学んで卒業したらそれでおさらばです。
人間ですからそういうケースも十分あるわけで、
その場合はまた各々独自な小集団で精神的な共鳴どころを持って生きていくことになるでしょう。
で、昨夜の9人は比較的鹿嶋になつくというか、親近感を濃くもつOBたちでした。
だから鹿嶋もいい気持ちですっかり楽しんじゃった。
それでも鹿嶋のこのブログを読んでいる人間は一人だけでした。
あとは、そんなことに興味はない、ただしばらくぶりで指導教師に会いたいという、人々でした。
鹿嶋はそういうことは承知でしたので、みんなが喜ぶのは昔に戻ることだ、と
ゼミに入った若き頃の写真を貼った会員カードを掘り出して持参しました。
それを眺めてみなひとしきり昔を語り、ゼミの精神を議論したりわいわいやったわけです。
で、それはそれでよかったのですが、ブログを読んでくれている一人が
そこ(このブログ)で展開されている鹿嶋の精神世界のことをたずねました。
これはゼミ精神とは別の精神世界のものです。
なんといったらいいか、ゼミ精神とは鹿嶋の言う「物理的イメージ世界」すなわち「いずれ消滅する無常世界」の中で、
「いかによく生きるか、知を伸ばすか」のコンポンを説く精神です。
他方、鹿嶋がこのチャーチで展開しているのは、聖書が提供する「純イメージ世界」すなわち、永続するイメージ世界です。
これを吸収し、それに高いリアリティを感じるようになったら、人生意識の根底を流れる暗さは吹き飛んでしまう。
これを身につけたら精神も知性もさらに活性化するし、肉体も根底から若々しくなるよ、というイメージ世界です。
で、会が終盤にさしかかったとき、リクエストにお答えしてそれを語ったのでありました。
曰く・・・
~~この仲間(当日出席できなかったものもいて、もう少し多数)はすばらしい。
こうしてみんなでしばしば集まり、旨いものを食べ、飲んで語り、定例のゴルフ会をしていたら
人生の苦しみも解消するだろう。
~~しかし、これはいずれ終わっていく世界だ。
諸君の年齢からして、もうしばらくしたら愛する仲間の一人が欠け、また一人が欠けていく。
その寂しさはこれまでかつて味わったことのない、恐ろしいものになるだろう。
そしてそれは必ず来るし、諸君らももうすぐ目の前だ。
~~諸君は「それはいい、それで仕方ない、人生とはそういうものだ」と思っているだろう。
鹿嶋も諸君を指導している頃はそうだった。
しかしいま石川君(ブログを読んでいるという只一人のOB)がたずねた世界は、終わりのない永続イメージ世界だ。
~~これは物理的イメージ世界をどんどん展開していった延長上にあるというものではない。
手のひらの側に物理的イメージ世界があるとしたら、永続する世界のイメージは手の甲の側にあるものだ。
別次元のイメージ世界。
これをも身につけ、それにリアリティを感じるようになったら、諸君にはもう絶望はなくなる。
肉体がどんなに衰えても希望があるイメージ世界がある。
聖書はそれを提供してくれてる言葉の集合体だと思ったらいいんだ・・・。
こう語り始めましたら、新しい現象が起きました。
テーブルを囲んで焼き肉を食べていたのですが、鹿嶋の向かい側にいた二人が突然コクンと眠り始めました。
これ、聞きたくないから寝たふりをしたのでなく、本当にコンコンと頭をたれて眠り始めました。
話し始めた殆ど瞬間にです。
他の2~3人は、「言ってることがよくわからん・・」といって別の空いたテーブルに行って休憩を始めました。
石川君は気をもんだ様子でしたが、鹿嶋には想定内のことで驚きはありませんでした。
とつぜん眠り始めたのは霊的な現象です。聖書に示唆されているとおりの現象。
「わからない」と言ったのは、今まで思ってみたこともない世界の話なので、理解が出来ない。
酒も原因してたでしょうが「ああ、先生また宗教の話し始めた・・・。もう呼ばなきゃよかった・・・」といったところでしょうか。
これがニッポンです。
鹿嶋の教え子として、心を通じ合ってきた、人生経験豊かなグループでもってしてこれです。
日本には古来より、無常イメージ世界しか意識にありませんでした。
ということは、世界とはすべてそういうもの、と思って一片の疑いも持たないことです。
そこでそれを「覚悟」し、その中で、生きている間の喜びを最大化しようと人民こぞってあれこれ工夫してきた。
そのうち多くに歓迎されたものは商品になり、常時生産可能になる。
そういう商品が豊富に蓄積されてきた世界にもまれなる国が日本なのですね。
食べ物は旨いし、酒は旨いし、それが庶民も味わえるほどの価格で提供されているし、
ネエチャンはきれいかどうか知らないけどテレビは笑わせたり心配させたりさせてくれるし、
演歌は慰めてくれるし・・・。よき仲間作りも出来る人は出来るし・・・。
狭いながらもマンションという名のアパートに都市部で住めば、生活は便利だし・・・。
それでなんとか一生涯百年くらいの間は、やっていかれる。
(上記の条件が欠けた人が、自殺するのでしょうが・・。この人生は死と背中合わせの人生ですから)
心の底で、「どうせ死んでおしまい」という虚無を持ちながら、なんとか生涯を送って消滅できていくのですね。
これが日本で福音が浸透しない基礎原因でしょう。
福音なしでも、百年くらいはやって行かれる・・・という環境状況。
その上に、牧師さんをはじめとする伝道者の知的・霊的無力が乗っかってるといった風景でしょう。
一人が言いました。
「先生、そういう話現役のゼミ学生にするんですか?」
鹿嶋答えて曰く。
「するはずねえじゃねえか。俺の精神に共鳴し、長年にわたって交流してきた君たちにしてこうだ。
まだ先の長い若いのに話したってわかるはずねぇよ」
石川君は、このギャップを何とか埋めて師弟関係のレベルを上げたいと、
これまでも一人気をもんできたようなのですが、これが日本なのでしょうね。
さあ・・・「心の癒し」さん。
どうする? どうする?
まず、出発点として、鹿嶋の言う「物理的イメージワールド」「純イメージワールド」の意味を正確に捉える必要がありそうに感じます。
このカテゴリーの中の「心の空洞を埋めたのは」というタイトルのページに、それが説明されていますので、よかったらどうぞ。