創造神の懐には、御子と聖霊が共存している~先回そういった。
これはみな本質が~被造霊ではなく~創造霊だ。
だから、「父なる創造霊」、「子なる創造霊」、「聖霊なる創造霊」ということもできる。
それをさらに短く「父・子・聖霊」ということもある。
<父の意志を共有>
その三者は個々バラバラではない。
父なる創造神はその意志を書いた書物をもっている。
それを御子も聖霊も共有して自分の意志としている。
つまり、三者はその志を共有しているのだ。
こうして心が一つになっているので、父・子・聖霊は一体なのだ。
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~う~ん、禅問答みたいで、ちょっと難しいかな。
まあ、だんだんとわかってくるよ。
<三位一体は神学用語>
余談だが~
これを三位一体(さんみいったい)という場合もある。
英語では「トリニティ(trinity)」だ。
この語は聖書の中の言葉ではなく、神学の用語だ。
神学とは、聖句(聖書の中の言葉)たちの間にみられるつながり・筋道・論理体系を探究する学問だ。
英語ではセオロジー(theology)という。
この語は、学問・科学でいうセオリー(理論)という語のもとになっている。
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そしてこの「位」というのはわかりにくいが、今は無視していい。
要するに、三つの創造霊は一体なのだ。
<三つの創造霊の関係>
三者の関係を、もう少し具体的に言うと~
① 「父」なる創造神は自らの意志を書いた書物を持っている。
② 「子」は父の意志を実行していく。
③ 「聖霊」は子の活動を助け、それを、後に造る人間の心に(記憶させて)保存する。
(伯父さんみたいなもんかな・・・)
こうして常に一体となっているという意味で、創造神は「一つ」なのだ。
~今回はここまでにしよう。
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