
ウェーバー学説における「統治を成り立たせる二本柱」は~
①正当性意識
②物的暴力手段
~でした。そのうちの後者②について、これまで考察してきました。
天才ウエーバー、そんな程度では終わりません。
彼は前者の①についても考究のエネルギーを注ぎます。
人民が当該統治者の統治を「正統だと意識する根拠」を考察するのです。
そして彼はその主たる根拠になる要素は歴史的に変遷することを見出しました。
それを旧い順に並べますと~
1.統治者の血筋
2.統治者の持つ天才的才能
3.法
~となります。以下説明しましょう。

<統治タイプは三つある>
1.慣習的統治~人民が統治者の血統に正当性を認めて成り立つ統治~
「血統に正当性の根拠を意識する」とはどういうことかといいますと、
例えば、「今の王様は先代の王様の子供である。だからこの方の統治は正当と受け容れる」
~というような意識です。
では、先代の王様はどうして? というと、これも先々代の王様の子供だからである~とこうなります。
つまり、まとめてみれば、そういう家系、血筋に正当性の根拠を感じているわけですね、人民は。
日本の昔の天皇も統治権を持っていました。
いまは国家の象徴という、わかりにくい存在となっていますけれど、昔はそうだった。
そして当時その天皇は天皇家の血筋の故に、正当な統治者と受け容れられていました。
ウェーバーは古代には人類は、ほとんどそういうところに統治の正当性を感じていたのだ、といいます。
こういうと、「あっ、それはウチだ! ウチの家族が地元の二代目、三代目政治家に
投票し続けて来たのは、そのミニチュア版だ!」と言う人もいるかも知れませんね。
(ウェーバによれば、そのお宅の政治的な精神レベルは古代水準となるかも知れません)
がとにかくウェーバーはこの類の統治を「慣習的統治」といっています。
(この統治類型の説明は、ここではわかりにくいところが残ると思います。
次の Vol.8 でもう少し詳細に説明します)

2.カリスマ的統治~個人の天与の才能に正当性を認めて成り立つ統治~
天才とは文字通りには「天与の才能」です。天が与えた才能。
この「天」は、本来は万物の創造主、聖書で言うゴッドを意味しています。
このゴッドが賜物として与えた才能がカリスマだ。
カリスマは本来、聖書に出てくる用語なのです。
それが政治家の天才的な才能をさすようにもなりました。
ローマ時代のジュリアス・シーザー、近代フランスのナポレオン・ボナパルト、
そして現代政治史では中国の毛沢東などがそれに当たるのではないでしょうか。
ウェーバーはその政治的天才という意味で、カリスマという語を使っています。
だから結構重い意味の言葉なんですね、このカリスマも。
今の日本で使われる、カリスマ美容師、カリスマ料理人といった軽い乗りの語と
混同しないようにしてくださいね。
ともあれウェーバーは、この天与の才能の故に、
その人物の統治を正当と認めることが人民にはあるのだ、と考えます。
「ナポレオンがやってくれるならば、我々は彼を国主と容認する」
というかのごとくですね。
そしてその類の統治を「カリスマ的統治」というわけです。
彼はこれを近代になると出現する統治形態だと考えています。

3.合法的統治~人民が法に正当性を認めて成り立つ統治~
最後の一つは、法に究極の正当性を認める統治です。
こういう国には国王、皇帝、天皇などがいてもいいです。
彼らの身分も権限も職務も、法が規定します。
憲法がすべてに超越し、すべてをカバーする。
だから国王も皇帝も天皇もその規定に従って振る舞うべし、ということになります。
この類の統治をウェーバーは「合法的統治」といいます。
こういう形態が時代が近代を超えて現代になるにつれて、進展すると彼は考えています。
+++
なお、日本の訳書では、この「統治」が通常「支配」と訳されています。
伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配、といったごとくです。
原語のドイツ語が英語のコントロール(統制、支配の意味)に当たるそうです。
ですから、支配としたのでしょう。
けれども、彼のこのあたりの理論は政治学理論ですから、
支配よりも統治の方がいいように鹿嶋は思ったのです。
もう一つ「慣習的統治」の慣習的、も多くの場合「伝統的」と訳されています。
これも鹿嶋は「慣習的」の方が適切だと判断してそう訳しています。
+++
ともあれ、いかがですか? 天才マックス・ウェーバーが提供してくれたこのもう一つのメガネは。
これをかけることによって、政治の一局面がまた新しく見えてくると思うのは鹿嶋だけかな?

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます