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日本政治の無能化が目に余るようになるにつれて、松下政経塾の駄目さかげんが取りざたされるようになりました。
雑誌で特集され、本まで出ている。ここの卒業生政治家が無能だというのです。
何処が無能なのでしょうか?
ウェーバーの「鋭い概念」はそれも浮上させてくれます。
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<生の体験情報>
松下政経塾に関しては、筆者は生の体験情報を持っています。
この設立計画がマスメディアで報じられていたある日、
鹿嶋は神奈川県茅ヶ崎市に建設中だったこの塾を訪ね、情報収集をすることが出来たのです。
これにはお世話になった人も少なからずいます。
内情に触れるようなことを書くのは、恩義に反するのはよくわかっています。
だが、あれからもう30年以上たっています。
そろそろ時効です。
日本のためでもありますので、書かせてもらいます。
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<えっ? この若い社員が?>
鹿嶋は当時PHPとの間に出来ていた関係をたどって、紹介してもらいました。
政経塾では二人の松下社員が設立準備を進めていました。
40代に至らないかのような若い人だったと記憶しています。
「えっ?」と思いました。
こんな若い人がこの一大政経塾を?・・・と。
だが、幸之助さんは会社経営においていつもこういうやり方をされるようでした。
素人的な人に責任を持たせて、やりながら成長していくことを信じます。
そして、彼らが成功するまであきらめずやりぬくのを待つのです。
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<何かが足りない・・・>
お二人にはカリキュラム図も見せていただきました。
まだ未完成でしたが、その大枠を見せてもらいました。
そこには、演説術や会話術、交友術などの時間が設けられていた様に記憶しています。
英会話の時間もいくつか設けられてありました。
「演劇もやらせます」と自信ありげに言われたのが印象に残っています。
プロの演出家に指導してもらって、塾生に演劇をさせる、
それは政治家の技能として必要だ、ということでした。
今流に言うパーフォーマンス力ですね。
これから他の専門科目の時間を組み込んでいく、
一流の専門家を呼んで講義してもらう、ということでした。
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調査を終えて当時住んでいた逗子の自宅に帰った鹿嶋の心に、
何か根本的に足りないものがありそう、という気分がわき上がりました。
すぐ気づいたのは、哲学が薄い、ということでした。
技術・技法ばかりで、政治精神を根本的に培う哲学思想、これをじっくり吟味する科目がない。
当時鹿嶋はそれを軽く考えていました。
まあ、40才そこそこのメーカー会社員が思いつくのはこれくらいのものだ。
だが、彼らもいずれ成長して気づいていくだろう。そういう二つの気持ちが交錯していました。
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もう一つあった。
それが、政治につきものの野獣的世界を運営する能力育成の領域でした。
この世界に物的暴力手段を用いて対処する、その能力育成のためのプログラムが設けられていない。
具体的なイメージのために敢えて端的な名前をつけるならば
、陰謀学、騙し学、裏切り学、諜報学、色香学、悩殺学ですね。
さらに、こんな名称は許されないでしょうが暗殺学のようなものも必要かも知れない。
実際、陰謀学・騙し学的な知識の欠如が、後に、卒業生に問題を引き起こします。
永田といいましたか若い国会議員がガセネタメールにだまされた。
それと知らずに政権与党の幹事長の責任をしぶとく追及しました。
当時同じ党の代表だった前川誠司が一緒になって執拗に追求した。
だがそれは騙しメールだったことがまもなく明らかになりました。
こんな問題で国会の場が紛糾したなどというのは国際的にも恥ずかしいことでした。
騙し学的知識の欠如がそれを生みました。
二人は共に、松下政経塾出身の国会議員でした。
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<明るく「軽い」政治学校>
政治哲学の吟味学と陰謀学、諜報学などが訓練科目にないことが、
この政経塾に明るい印象を形成していました。
鹿嶋にはそれが同時に「軽い学校」という感覚を与えていました。
まあ、これも必然的だったかも知れません。
そもそも松下さんが、政経塾の助走段階として政治に向けて持った関心のはじまりは、「無税国家」でした。
政治だってサービスだ。これを賢く制作し販売すれば正統な収益が上がるはずだ。
それでもって政治機関を運営すれば税金というのは要らなくなるのが道理だ。
それは経営能力の優れたものならば、出来るはずだ。
~そういう楽観論が松下政経塾設立の前段階にありました。
幸之助翁ははいろんな機会に、無税国家論を主張していました。
松下氏はこういう風に経営の面だけから政治を見ていました。
ドロドロの野獣的側面には目が開けていませんでした。
松下氏だけでなく、会社経営者の政治学は、概してこんなものです。
そしてそれは通常、ビジョンだけで終わります。
ところが松下氏には経営で成功を収め続け、経営の神様といわれてきたという自信がありました。
かつ幸之助翁は人生の晩年にさしかかっていました。
だからそのビジョンが実現するように思え、かつ、実現せねばという使命感も芽生えたのでしょう。
政経塾設立に踏みだし、いつものように若い社員にゆだねたのです。
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<教育は電気製品のようには作れない>
だが、政治能力の育成というのは、電気製品のような物質商品を改善していくのとはかなり違っています。
物質商品は現状観察が容易ですが、人間の政治能力の実情は認識自体が難しいのです。
その結果、教育機関に幼稚さがある場合、それはそのまま残っていきやすいのです。
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<獣性世界の認知は洞察力に必要>
野獣的世界の知識は、人に現実洞察力を訓練させるにほとんど必須知識です。
政治世界では、野獣的領域もあるのが現実です。
暗く重い世界です。汚れたきたない世界です。
だがたとえ美観に反しても、これも含めて見ることは
政治社会の「現実実在」をリアルに見ることに繋がっています。
そして実在をリアルに見ることは、洞察力を養う大前提なのです。
獣性領域を視野に入れないと言うことは、意識が空想の世界に住むことです。
その意識状態では洞察力は育成されないのです。
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<洞察力がなければ口先番長になるしかない>
政経塾OBの民主党・前川誠司が、「口先番長」と言われるのもそれによります。
洞察力がなければ、口先だけで渡り歩くしかないのです。
そして現在、松下政経塾出身の国会議員が、なんと、38名もいつのまにやらいます。
政経塾国会議員たちの「軽さ」と現実洞察の無能さは目を覆うばかりです。
そしてこともあろうに、この中から、ほとんど偶然に首相まで出てしまった。
小沢一郎氏の「二大政党の夢」の曲がり角から、ひょんな結果になってしまった。
それは国家に巨大な損失をもたらし続けています。
松下翁の無税国家の夢などとっくの昔に吹き飛んでしまっています。
逆に財務省に示唆されるままに、増税に走っている。
洞察力なき人間は、事務方の言うように動くしかなくなるのです。
幸之助さんの志は大とすべきです。
私財を投じるのもなかなか出来ることではありません。
だが、政治の世界では、人の行為は動機でなく結果で評価されます。
残念ながら、冷たいようですが、幸之助翁の晩年の夢は、悲惨な面を多く含む結果を生んでいます。
ウェーバーの天才的概念は、その構造をも浮上させてくれるのです。
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そしてこうした野獣世界を扱う本は、この一冊で終わり、
後が続かなかったですよね。
日本は平和ぼけの真っ最中でした。
+++
陸軍中野学校に、陰謀、簿略、欺し、裏切り、拷問
などに関する知識はある程度蓄積されていたでしょうが、
GHQが資料を封印してしまったのでしょうかね。
でも、研究者ならその気になれば探索できたでしょう。
いやしくも、政治学者ならば、これらに関する知識を含む
政治学を展開して当然なんですけどね。
私が聴いた講義や専門書は、みな、「ボクちゃん政治学」だったですね。
https://www.facebook.com/#!/photo.php?fbid=325541430872439&set=a.208158482610735.47353.100002497535520&type=1&theater
この「ボクちゃん顔」たちをみて下さい。幸之助翁も含めてね。
ドスのかけらもない。
オリンピックでの日本男子サッカーのラスト2試合の戦いぶりを見ていて、まさに、野獣的世界の知識とか、そこを渡るための本能的な能力の欠如、を見る思いがしました。
もちろん、疲労とかコンディション調整の失敗とか戦術ミスもあったかもしれませんけど、どこのチームも条件はあまり変わらないはずです。 しかし、どう見ても、メキシコや韓国の選手の方が、野獣的闘争本能からくる気迫とか、出足の鋭さがありました。
よくこういう場合には、「メンタル面の弱さ」なとどオブラートで包んだような指摘がされますけど、ずばり野獣性が欠けていたと言っていいのではないでしょうか。
そういうと、すぐに根性とか精神論の強化に走ってしまいがちな気がします。 不振だった柔道を考えると、指導者は、たぶん問題に気づいていたかもしれませんけど、例によって猛練習で乗り切ろうとしてしまったようです。 でも根性の問題ではないのですね。
柔道で唯一、金メダルをとった松本さんが、野獣本能むき出しのスタイルだったことがすごく印象的です。
野獣性とか本能面での強化が、スポーツ界ばかりでなく、日本社会全般に求められていることを、今回のオリンピックで教えられた気がします。
私も、スポーツに関して前から考えていたことあります。
それはサッカーは古代の戦場で行われた肉弾戦の
現代版だと言うことです。
ローマ帝国は、征服した地域のすべてに、小ローマを建設していきました。
そこでは闘技場(剣闘士の殺し合いも見せられる)と公衆浴場が必須施設でした。
大ローマ帝国に併合された地域の住民のすべてが
闘技場での野獣的殺し合いをいつも娯楽としてみていたわけです。
おそらく、帝国政庁のもくろみには、
平時にも戦場での肉弾戦の感覚を人民に忘れさせないことも
含まれていたと思われます。
+++
サッカーという競技自体が全般的に古代の肉体力を最大武器とする戦争の模型です。
あの相手選手の間に出来た空間に、素早くボールを入れて
ドリブルでゴールに向けて突進していくのは、古代の戦争のままです。
そして、ゴール前の戦いなど、肉弾戦そのものです。
それを手を使わないルールでやるとああなるのではないでしょうか。
そこでは野獣性がものをいいます。
今回、女子サッカーで米国が日本に対してとってきたのも
その面の増強だったとみていました。
ドリブルして進む日本選手に身体を寄せて併走する。
ゴール前では、みんなが群れて肉体で壁を作る。
これで日本のすぐれた技巧を今回は封じたと見えました。
ともあれ欧州人は、ローマ帝国統治下で、競技と言えば
そういう野獣性で勝負するものという感覚を植え込まれてきました。
だから、サッカーに興奮すると思うのです。
血が騒ぐのですね。
+++
それに比べると、野球は面白いけれど技巧が入りすぎて、
肉弾戦の要素が非常に少ないです。
ホームベースで選手がぶつかるくらいですね。
欧州で野球を広めようとしている人がいますけれど、
広く普及するには非常に長い年月がかかると思います。