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こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。
今回は、統制力を失った英国教会制度のもとで成長した新教会のうち、メソディスト教会を紹介します。
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この教会の創始者はジョン・ウエスレー(John Wesley,1703-1791)です。
彼は英国国教会の司祭でした。
にもかかわらず、儀式中心の国教会の礼拝に疑問を抱いていきました。
そして、もっと実質的で、創造神を直接拝する姿勢を持てる礼拝方法を思案しました。
結局、礼拝場は教会堂である必要はない、と考え、 野外でも礼拝を行いました。
各地を馬に乗って巡回して野外礼拝を導いたのです。
それでも国教会勢力からは、おとがめなしでした。
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彼はカトリックのカンタータ風だった礼拝音楽をとりやめ、新作の賛美歌を取り入れました。
弟チャールズは、今でいえばシンガーソングライターの天才でした。
彼はその才能でもって、同時代に適合した讃美歌を新しく創って、兄の教会に提供しました。
生涯に総数9000に及ぶ曲を作ったといわれています。
彼の作品は現代の賛美歌集には”伝統的な賛美歌”として収められています。
けれども当時は、いまの戦後1960年代の若者フォークソングのような存在だったでしょう。
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<現代ビンヤード風礼拝の先駆者>
この教会方式は現代では珍しくありません。
戦後米国では特に、牧師がジーンズにギターでもって礼拝を導く教会が多く誕生し、それが世界に広がっています。
ビンヤード教会、サドルバック教会、ホープ教会、ニューホープ教会などがそれです。
だが、当時は斬新そのものでした。
とくに若者には衝撃的だったでしょう。
それは同時に魅力的でもあり、多くの人に受け入れられました。
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<メソディストもニックネーム>
教会は成長しました。
外部の人々はこの教会の斬新な礼拝方式に注目して、メソディスト教会と呼びはじめました。
礼拝方式の「方式」は英語でメソッド(method)です。
これからメソディストなる語が生まれた。
これもまたニックネームです。
「礼拝方式にこだわる奴ら」あるいは「礼拝方式を刷新する奴ら」といったニュアンスでしょうか。
その名が広がってこの教団の名前になったのです。
前にも言いましたが、キリスト教活動の名称のほとんどは、一般人の口に上ったニックネームに始まっています。
ピューリタンも、バプテストも、長老派もみなそうです。
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<だが自由吟味教会ではなかった>
ウエスレーは革新的な人でしたが、その教会活動は聖句自由吟味方式にまではいかなかった。
教団の正統教理書をつくり、それでもって教会を運営する教理統一方式の教団になりました。
彼らはいまでもメソディスト教理書をもっています。
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けれども大規模な教会に発展しました。
今の米国にも数多くあります。
この教団はまた、明治維新後の日本に宣教師を派遣し、青山学院や関西学院などの学校を造っています。
(Vol. 34 メソディスト教会 完)
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