ところが、天理教の教典には聖書にある神概念と同じものが記されていました。
いや、それだけではない。 聖書解釈で用いられる神概念と同質以上のものをも
含んでいたのです。
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詳しく眺めてみましょう。
このシリーズの 3 にも書きましたが~
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1.この世界のすべては、創造神によってつくられている。
2.特に、人間は自分の子としてつくられている。
3.創造神は人間にとっては「親」であり、親神様である。
4.親神は、人間の親が子を慈しむように、すべての人を慈しんでおられる。
5.そのことを悟ると、人の心は不思議に「勇んで」くる(活性化する)。
6.すると、通常は「陰」であった気持ちが、「陽」に変わる。
何をしていても、どんな境遇になっても「陽気」になる。
~と、天理教の神概念はまとめられる、と鹿嶋は述べました。
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ここには、創造神は人間の親でもある、という教えが明示されています。
たとえば~
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2.特に、人間は創造主の子としてつくられている。
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~はそうです。
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では、聖書ではどうか?
聖句を見ましょう。イエスの言葉です~。
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「・・・鳥のことを考えてみなさい。・・・(中略)・・・あなたがたは鳥よりもはるかにすぐれたものです。
・・・(中略)・・・ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。
・・・(中略)・・・しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。
・・・(中略)・・・あなたがたの父である神は、喜んであなたたがたに御国をおあたえになるからです。」
(ルカの福音書、12章24-32節)
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~ここでイエスは人々に創造神を「あなたがたの父」と語っています。
イエスは創造主を「父なる神」と読んでいますが、人間にも
「あなた方の父」といっています。
見逃しやすいところですが、ここでイエスは、人間も、「創造神の子」といっているのです。
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これは聖書の重大な奥義です。
だがこの奥義は、従来の聖句解読では見逃されやすいです。
鹿嶋はその主たる理由は、「万物の創造者であることと、人間にとって父(親)である
ということが、一つの言葉に収めがたい」からだと考えています。
実際、聖句解釈ではそこは「創造主」とか、「主」とか言う言葉で片付けられてきています。
すると、創造神が(人間の)「父(親)」でもあることが放念されがちになるのです。
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だが、天理教の教祖、中山みき、には、そのことが明確に啓示されていたのです。
それが「親神」という呼称によって啓示されています。
繰り返しますが、「親神」という呼称は、絶妙というか、すごいものです。
『親』という語には、「存在させた(生んだ)」という創造神のニュアンスと同時に、
「子の父」という意味も含まれています。
これによって、創造神が人間の「父(親)」でもあることが、示唆されうるのです。
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これには鹿嶋は感嘆・仰天しました。
筆者はこれまで『創造主」という語で聖書の神を述べてきました。
それしかない、と思って、『(人間の)父」であるという意味を呼称に含められずに来ました。
聖書訳者も、クリスチャンを自称する人も、みなそうだと思います。
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だが、『親神』という言葉があったのです。
天理教の教義は、それを教えてくれました。
筆者は以後、聖書解読では、この語を用いようと思っています。
(ああ、また ”異端!” と罵る自称クリスチャンが多出するだろうなぁ)
(続きます)
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