科学映像館が、最近、ザーラ・イマーエワによる30分のドキュメンタリー映画『子どもの物語にあらず』(2001年)を配信している。(>> リンク)
この、空爆などによるジェノサイドとも言うべきチェチェンの無差別虐殺を捉えた作品は、ロシアでは報道が厳しく制限されているという。被害者の子どもたちがカメラに向かって話す状況は、嘘でありようがないからだ。
子どもたちは、全部を見たんだよ、戦争とは人を殺したり爆弾を落したりすることだよ、と言う。運がよければ助かるし悪ければ死ぬんだよ、大人は子どもがきらいなのかな、と呟いてしまうまでに追い詰められた子どもの姿を見て、何も感じない者はいまい。そして、カメラに向かって答えつつ、私の声って大きくない?見つからないよね?と怯える姿もある。淡々と感情を出さずに答えていた子どもは、死ぬってどういうこと?と問われ、それはね・・・それはね・・・とことばを失う。
かたや、軍のミッションについてのみ語るプーチン首相や、コーカサスを叩き潰すと豪語する極右ジリノフスキーや、チェチェンの少女に暴行しながら心神喪失状態にあったということになったブダーノフ大佐の勇ましい姿などが挿入される。国境をはさんでグルジア側、ほど近くにある南オセチアを巡る状況や、新テロ特措法の延長を「世界がテロと戦う」と表現して訴える日本の政治状況など、地理的な場所は異なっていても、<ダイナミクス>にのみ目を向けて、<ひと>については一顧だにしないことは全てカーボンコピーのようだ。
チェチェンを描いた映画には、セルゲイ・ボドロフ『コーカサスの虜』や、最近のニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』(>> リンク)があるが、このドキュは劇映画とはまた異なる力がある。子どものまなざしの力は、牛腸茂雄の写真と共通するものでもある。