Sightsong

自縄自縛日記

屋嘉田潟原

2010-09-11 22:42:26 | 環境・自然

2010年8月、沖縄県恩納村屋嘉田潟原(やかたたたばる)。日の出前の月や夕焼けを観た後、さて干潟はどこだろうと干潮時間に眺めると、目の前に広がっていた。護岸工事から免れた貴重な場所であり、赤土汚染に悩まされたこともあったようだ。万座のビーチで遊ぶなら、ついでにこちらにも足を運ぶべきだ。


屋嘉田潟原、朝の月 Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP


屋嘉田潟原、夕焼け Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP

海沿いの国道58号を渡ると、すぐに干潟に降りることができる。向こうのヨー島まで歩いていくことができそうにさえ見える。壮観だ。


屋嘉田潟原 Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP


ヨー島まで歩いていけそうだ Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP

サンゴ礁のかけらが多い砂干潟、下をじろじろ見ながらずんずん歩く。タマシキゴカイの糞だろう、東京湾の干潟と同じ「モンブラン」がそこかしこにある。地中で砂を食べたゴカイが、有機物を摂ったあと、綺麗な砂を地上にひり出したオブジェだ。海草もある。


モンブラン Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP


海草 Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP

カニは、やはりたくさんいる。岸の近くでは、シオマネキが片手で潮を招いている。どこかのカップルが、歩道からシオマネキの群舞を見つめてスゲースゲーと叫んでいた。甲羅がゴーヤーのようにぼこぼこしたオウギガニの仲間は、なかなか穴から出てこない。オサガニの仲間だろうか、眼が潜望鏡のように上につきだした奴もいる。

甲羅の上に砂を薄くかぶせて、隠れたつもりになっている大きなカニがいた。石の先でちょいとつっついてみると、砂を払いのけ、物凄い迫力で威嚇してきた。指を挟まれたら本当に痛そうだ。くわばらくわばら。あとで調べてみると、タイワンガザミだった。

八重山に「ヤクジャマ節」という唄があるという。その中では、シオマネキは強いガザミを羨んでいる。「やくぢやま」と「しらかち」がシオマネキであるようだ。

「うさいの泊のやくぢやま
作田節ば詠めうる
おれが隣りのしらかちや
おれに合しゆて
三味線ばぴき詠めうる
生れる甲斐産でる甲斐
がさみのなかなが子ば生し見やむな
(略)」
(ウサイの泊のヤクヂヤマが作田節を謡っている。そのお隣のシラカチはそれに合せて三味線を弾いている。そして彼らはこう歎じている。「折角生れる位なら、ガサミのような強者になって生れればよかったのに。けれでも生れ落ちた以上は仕方がない。せめてガサミのような強い子でも産んでみたい。)

伊波普猷『小さき蟹の歌』(『古琉球』所収、1916年)


シオマネキ Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP


オウギガイの仲間はなかなか出てこない(部分) Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP


私を威嚇するタイワンガザミ Pentax LX、FA77mmF1.8、Velvia100、DP

●沖縄の干潟・湿地・岩礁
泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展 
漫湖干潟
辺野古
糸満のイノー、大度海岸
沖縄県東村・慶佐次のヒルギ

●東京湾の干潟(三番瀬、盤洲干潟・小櫃川河口、新浜湖干潟、江戸川放水路)
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い
Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園
江戸川放水路の泥干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
谷津干潟

●その他
加藤真『日本の渚』(良書!)
『海辺の環境学』 海辺の人為(人の手を加えることについて)
下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)
理系的にすっきり 本川達雄『サンゴとサンゴ礁のはなし』(良書!)


フィリップ・K・ディック『ヴァリス』

2010-09-11 11:53:17 | 北米

インド行きの飛行機、観るべき映画がないこともあり、フィリップ・K・ディック『ヴァリス』(創元SF文庫、原著1981年)を読む。400頁もの大作である。

発狂しはじめている男ファット。彼は突然、神の啓示を受ける。いや、神というのは幻視の受容であり、それは理性と非理性とが併存する宇宙の膨大な情報のアーカイヴからの頭蓋内へのデータ移送であった。幻視を体験した者、情報をわずかでも咀嚼した者、情報を教典として他者に伝えようとする者、それはイエスであり、ファットであった。時間軸は意味を持たず、無数の人間の脳は情報の共有メモリーであった。そして、情報アーカイヴからのデータ移送は、<帝国>との闘いであった。

これは恐るべき物語だ。ここで展開されるのは、「宗教に走った」ディックのイカレた表現などではなく、凄まじい迫力と密度を持った現代の経典である。その教典は、ファットたち殺害された者、癒す者、癒された者によって姿を現すものであり、ファットこそディックの分身であることが物語世界と現代の<帝国>とを結び付けている。<帝国>は終滅することがない、しかし希望が示される。

ファットの<秘密教典書>より
41
<帝国>とは錯乱の規定、錯乱の法典化である。狂っており、本質が暴力的なものであるため、暴力でもってわれわれにその狂気を押しつける。
42
<帝国>と闘うことはその錯乱に感染することにひとしい。これはパラドックスである。<帝国>の一部をくつがえす者は、誰であろうと<帝国>になる。<帝国>はウイルスのように急激に増殖し、その形態を敵に押しつける。それによってみずからの敵となる。

●参照
フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』と映画『NEXT』(『ヴァリス』の映画化にも言及)


屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』

2010-09-11 09:54:54 | 沖縄

インドからの夜便で帰国。向こうに着くなり電気シェーバーが壊れ、1週間でヒゲ男と化してしまった。ヤマダ電機にでも行かなければ・・・。

沖縄オルタナティブメディアに、屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』(吉川弘文館、2010年)の書評を寄稿した。

>> 書評 『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』

●参照
村井紀『南島イデオロギーの発生』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
由井晶子「今につながる沖縄民衆の歴史意識―名護市長選挙が示した沖縄の民意」(琉球支配に関する研究の経緯)