Sightsong

自縄自縛日記

サタジット・レイ『見知らぬ人』

2010-09-23 23:08:26 | 南アジア

サタジット・レイの遺作『見知らぬ人』(1991年)を観る。

先日、インドで企業人たちと昼食を取っている途中、日本でインド映画はどうだ訊かれたので、『ムトゥ・踊るマハラジャ』なんてタミル映画は昔ヒットしたけど原題がわからない、有名なのはショトジット・ライ(サタジット・レイ)だよと応えると、ああクラシック・ムービーだなと片付けていた。とは言え、レイの遺作である本作は1991年製作、決してクラシックばかりでもないのだ。

日本公開は1992年、既にレイが鬼籍に入った後だった。観に行こうかと思いつつ逃してしまい、後悔した。20年近く経って、ようやく観ることができたわけだ。

コルカタに住む上流家庭の核家族。突然見知らぬ人から手紙が舞い込む。妻がまだ小さい頃に家を出た伯父さんが、30年以上経って、身寄りはおまえだけだ、是非会いたいという内容だった。本人なのか、何か狙いがあるのではないのか、と疑心暗鬼になる夫。現れた伯父さんは世界中を旅した紳士だった。あたたかく迎える夫婦。しかし、寝る前にアガサ・クリスティのミステリーを読んでいた妻は、ふと、祖父の遺産を狙って来たのではないか、と疑念を抱いてしまう。曖昧なまま、夫婦の友人が、伯父さんに対してあなたは怪しい、夫婦も迷惑なんだと批判してしまう。翌朝黙って消える伯父さん。夫婦に探し出された伯父さんは、いよいよ旅立ちの日に、自分に与えられた遺産をすべて夫婦に渡す。

これを現代社会批判と捉えるのはたやすい。しかしそれよりも、何かを確信しているかのような巨匠の落ち着いた演出に強い印象を抱く。一旦は消えた伯父さんを見つける夫婦、そのクルマの音が聞こえただけで長椅子を準備する伯父さん、そしてバニヤン・ツリーの気根にぶら下がる子どもたちの前での対話。突然繰り広げられる古典舞踏のなかに、夫に背中を押されて加わり、手をつないで嬉しそうに踊る妻。きめ細やかな演出というより、むしろ、これが巨匠の辿りついた世界なのかと思えてくる。祝祭と日常が平然と共存する世界である。


侯孝賢『ミレニアム・マンボ』

2010-09-23 22:22:01 | 中国・台湾


ポストカード

侯孝賢『ミレニアム・マンボ』(2001年)を観る。侯がはじめてスー・チーを起用した作品である。

台北、新大久保、夕張。過去と現在、想像とが混在する。過去の侯作品でも感じられたような音空間のアンビエント性だけではない。細部がplausibleかどうかではなく、時空間と記憶とを含めたatomosphereを生きたままに封じ込めることをリアルだと言うのだとすれば、この映画は極めてリアルだ。

それを生みだすカメラが本当に巧い。自宅の部屋のなかで漫然と過ぎ去る時間。クラブの中でスー・チーを見出さんとして壁を舐めるように移動する視線。異空間としての、夕張のおでん屋のお婆さん。台北の雑踏と、雪で音が消えたような夕張の夜。新大久保のホテル、頼る相手もなく窓際で休むスー・チーに射す光の移り変わり。そして想像の世界、夜の無人の夕張を捉えた長回し、去来するカラス。

天才だと言ってしまえばそれまでだが、息苦しいほどのアウラが充溢している。侯がスー・チーを起用した作品には『百年恋歌』(2005年)もあり、早く観たくてたまらないところだ。

ところで先週足を運んだ杭州の映画館には、アンドリュー・ラウの新作『精武風雲』のポスターが貼り出されていた。ドニー・イェンはともかく、スー・チーとアンソニー・ウォンの共演なんて、そそられる。

●参照 
侯孝賢『冬々の夏休み』
侯孝賢『レッド・バルーン』
アンドリュー・ラウ『Look for a Star』(スー・チー主演)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(ジョニー・トー製作)