大正末期から日本敗戦まで、上海には、中国人も日本人も通った「内山書店」があった。太田尚樹『伝説の日中文化サロン 上海・内山書店』(平凡社新書、2008年)は、店主・内山完造の生涯と、内山書店を巡る知識人たちの動きをコンパクトにまとめた本である。内山完造の弟が開いた神保町の内山書店には、いつも店頭のガラスケース内にこの本が飾られている。
開業当時、自由に本を手に取って眺められ、貸し売り(即金でなく後で支払う)ができる書店は珍しかったという。商売にならないとの助言を聞かず、むしろ口コミでの宣伝になると考えてのことだ。そして書店は、知識人たちが集うサロンになった。その中心には魯迅や郭沫若らがいた。
いま、ブックカフェはあってもサロンたる書店などは見当たらない。飲食コーナーはあっても、店主と客との距離は限りなく遠い。親しみやすいような工夫はしてあっても、必ずしも歓迎されているわけではない。100年近く前のこの書店が、極めて魅力的な存在に思われてくる。
中国知識人は日本語の本も求めていた。留学などを通じて知日派になりはしても、帰国後、親日派にはならなかった。当然である。そんななかで交わりあうことができるのは、個人単位であった。内山完造は人と人とを引き合わせ、国家に自身を売らなかったため、中国の歴史に名前を残している。現に、上海の内山書店跡には、立派なプレートがはめ込まれている(銀行になっている)。また上海の魯迅紀念館には内山の胸像と内山書店を模した展示があるし、北京魯迅博物館には魯迅が死の間際に内山に宛てた手紙が展示されている。
しかし内山は、日本においても中国においても、例外的な存在であった。
「郭はかつて亡命中に住んだ、千葉県市川市須和田の旧宅を訪ねた。だが内山は、二十数年前、郭沫若の家の玄関を叩くのは巡査か、探偵か憲兵のほかはいないことを知っていた。当時の町内の人々の冷やかな視線も忘れていなかった。そしていま、新中国の要人をにこやかに出迎えている町内の老若男女の群れを、内山は複雑な気持ちで眺めていた。」
●参照
○魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
○魯迅の家(2) 虎の尾
○魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡
○魯迅グッズ
○丸山昇『魯迅』
○魯迅『朝花夕拾』
○井上ひさし『シャンハイムーン』 魯迅と内山書店