Sightsong

自縄自縛日記

ミカエル・ハフストローム『諜海風雲 Shanghai』、胡玫『孔子』

2010-09-19 23:46:50 | 中国・台湾

中国で買ってきたDVD、ミカエル・ハフストローム『諜海風雲 Shanghai』(2009年)を観る。チョウ・ユンファ、コン・リー、渡辺謙、ジョン・キューザックが共演する大作(日本未公開)。それにしてもDVD化が早い。

日米開戦直前の上海。英、仏、独、米、日の各租界では一応の抑止力が保たれているはずだった(「英国で酒を呑み、仏国で食事し、独国で情報を仕入れ、日本からなるべく離れたホテルに宿泊する」なんて言葉が引用されている)。実際には、日本軍の横暴が激化していた。友人のもとに来た新聞記者(ジョン・キューザック)は、友人が直前に殺されたことを知る。調べてみると、日本の軍人(渡辺謙)の情婦に接近し、日本軍の情報を仕入れていたのだった。そして日本軍と着かず離れずの距離を保つ男(チョウ・ユンファ)、その妻でありながら「南京大虐殺が上海でも起きてしまう」と密かに抗日運動を行う女(コン・リー)。

映画としては可もなく不可もなく、といったところか。大根役者ジョン・キューザックは明らかにミスキャスト、相変わらず色気のあるコン・リーの存在感に救われている感がある。チョウ・ユンファについては、何が良いのかまったくわからない。

ちょっと前に飛行機の中で観た、胡玫(フー・メイ)『孔子』(2010年)でも、チョウ・ユンファが孔子の役をつとめていた。これがもう、薄っぺらの伝記映画で、ユンファの表情にのみ頼ったような駄目駄目な作品だった。報道では、中国でも『アバター』に押されて客の入りが芳しくない様子。

こんな作品に比べれば、『諜海風雲 Shanghai』は百倍優れている。


ロベルト・ロッセリーニ『インディア』、『谷村新司 ココロの巡礼』

2010-09-19 22:56:17 | 南アジア

インドから帰ってきた気分が抜けきらないまま、ロベルト・ロッセリーニ『インディア』(1958年)を観る。ロッセリーニにとっては、イングリッド・バーグマンとの諸作品の評判が振るわず、数年間ののちに撮った作品である。20年くらい前、蓮見重彦の影響でロッセリーニだぜ観に行こうと誘う友人Sと一緒に、早稲田にあったACTミニシアターでのオールナイト上映で観て以来だ。Sは番組製作会社への就職とともに姿をくらましたが、どこで何をしているのだろう。

映画はボンベイの雑踏で始まり、ボンベイの雑踏で終わる(なお、ムンバイとなった現在も、古くからの住人はボンベイと呼んでいる)。その間に4つのエピソードが挿入されている。象使いが結婚する話、人海戦術でのダム建築に携わった男の独白、森に暮らす老人の話、熱波で主人を失った猿の話。

それぞれ、語り手は登場人物(を装ったナレーター)であり、4つめの話に至っては猿(を装ったナレーター)である。その意味で、映画はドキュメンタリーとドラマとの間を彷徨い、視線も誰が誰に向けたものなのかも曖昧なままだ。そこが、いつも何かが曖昧なロッセリーニの魅力なのかも知れないが、主体は不在であり、インドにもどこにも足を踏みしめることのない作品だとも言うことができる。

こんなものより、ちょうど何気なくチャンネルを変えたときに放送していた、『谷村新司・ココロの巡礼~「昴」30年目の真実』(BSジャパン、2010年9月18日、>> リンク)の方が馬鹿馬鹿しくて面白かった。

谷村新司がインドを旅する。タージ・マハルでは、何の感慨も抱かなかったことを、「生きている世界にこそインドがある」ともっともらしく解説する。鉄道(テレビでもなければ一等車に乗っているだろうに)の中で買った卵サンドを食べて、「卵とパンの味がします」(!)という感想を述べる。そしてほどなく下痢と高熱に襲われ、数日の休養の後、へろへろでカメラの前に姿を見せる。曰く、「熱があったので夢を見た。その中に青いシヴァ神が登場した。そういえば、「昴」では、「青白き頬の頬のままで~」と歌っていた。これは何かある。」 ・・・もうヤケクソとしか思えない。

そして番組の最後に、谷村は川の桟橋に立ち、ひとり「昴」を唄う。背後では、意に介することなく沐浴を済ませた人たちがマイペースに着替えている。こちらは緊張感に耐えられず、肋骨が痛くなってくる。ツマと一緒に歯を剥き出して爆笑しながら観た。あれもインド、これもインド、どれもインド。


原将人『20世紀ノスタルジア』

2010-09-19 21:54:21 | アート・映画

原将人『20世紀ノスタルジア』(1997年)を観る。

広末涼子10代のデビュー作とあって、広末ファンの間では賛否両論分かれているようである。評価の分かれ目はおそらくオーソドックスな劇映画(ベタなアイドル映画も含めて)とはかけ離れた自主製作映画のようなノリにある。

私は、商業映画においても隙間だらけの映画を構築してみせた原将人の手腕が素晴らしいと思ってしまう。ここに出てくる物語も、思春期性も、トイカメラで撮られたようなキッチュな映像も、すべて手垢のついたような二次情報ばかりである。しかし、すべての要素が互いに距離を置いたようなドンガラの構造、そしてその距離が映画なのだとさえ感じられる。これはやはり、原将人のツッパリだったのだろう。

ところで、原将人全映画上映のVol.2が10/10に予定されているようで、ちょっと行けるかどうかわからないところ。『初国知所之天皇』をぜひ観たいのだけれど。(>> リンク

●参照
原将人『おかしさに彩られた悲しみのバラード』、『自己表出史・早川義夫編』
大島渚『夏の妹』(原論文)


杉山正明『クビライの挑戦』

2010-09-19 00:14:50 | 北アジア・中央アジア

中国に数日間行ってきた。往復の機内で読んだのは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』(講談社学術文庫、2010年、原著1995年)。つまり、当時世界最大の都市であった杭州に、意識せずして本書を持ちこんだというわけ。世界史全般の通史では、モンゴルの世界席巻についていまひとつ不可解であり、知りたかったところでもあった。

ここに書かれているのは、世界システムの姿を変えたモンゴル、帝国の姿を変えたモンゴルである。世界システム論を提唱した人物にイマニュエル・ウォーラーステインがいるが(私は舛添要一の授業でその名前を知った)、著者は、彼についてヨーロッパ偏重であり「モンゴルを知らない」とばっさりと批判する。それだけでなく、歴史というものが特定のイメージに支配され、偏向と限界とを孕んでいることを、歴史家として自ら吐露する。この覚悟には読みながら気圧される。

「・・・歴史家というものは、既存のイメージや文献の表面にまどわされることなく、なにがはたして「本当の事実」なのか、ぎりぎりまでつっこんで真相を見きわめようとすると、じつはたいてい無力である。」(!!)

モンゴルについての既存のイメージは、野蛮、残酷、草のにおいのする戦闘集団、チンギスとクビライ、元寇、マルコ・ポーロ、タタールのくびき、といったところ、本書はそれらのひとつひとつを(歴史学の限界を提示しながら)再検証している。そこから浮かび上がってくるモンゴル帝国の新奇性、斬新さには夢中になってしまう。

○モンゴルがロシアに破壊と殺戮を加えたという「タタールのくびき」は、根拠に乏しい。実態は、ロシア側がモンゴルの権力を利用する形で支配を受け、モンゴルの世界システムに取りこまれるものだった。
○権力の多重構造がモンゴル帝国の特徴のひとつであり、多極化は内部抗争とは似て非なるものだった。すなわち、現代の国家観を歴史の実態にあうようにとらえなおす必要がある。
○モンゴル帝国、イコール、中華王朝(元朝)ではない。これは文献の偏りに起因する既存イメージのひとつである。
草原の軍事力、中華の経済力、ムスリムの商業力がモンゴル帝国の柱であった。自由な商業がグローバルな交流を生むこととなった。福岡をその交流圏の東端として捉えることもできる。これが華僑の東南アジアへの拡がりインドネシアのムスリム化の要因ともなった。
○東アジア全域での道路システムの整備は、史上はじめてのことであった。それを草原とオアシスの世界を横断する駅伝ルートと連結して、ユーラシア全域をひとつの陸上交通体系でつなげたのは、人類史上はじめてのことだった(あるいはこのときだけ)。そして、モンゴル帝国は、中国からイラン・アラブ方面にいたる海域をも掌握した上海はこのとき歴史上に姿を現した。
○南宋への攻撃において採用した、都市化による包囲は、「不殺の思想」であり、「戦争の産業化」であった。
元寇、とくに第一回の文永の役は、南宋攻撃の一環として位置づけられる。「元寇」だけをクローズアップするのは、「巨大な外圧」というイメージが好まれた結果である。しかし、第三回がなされていたならば(モンゴル内部の政治情勢変動により実行されなかった)、日本はあやうかった。
○銀を共通の価値とする「銀世界」は、ユーラシア全体に拡がった。銀と、それにぶらさがる紙幣、自由な物流とそれによる国家収入、通商帝国というにふさわしいシステムであった。
○日中交流史上、近現代をのぞくと、もっともさかんであったのはモンゴル時代である。
○モンゴル帝国を揺るがしたのは、14世紀の「地球規模の災厄」であった。これをヨーロッパだけに限定して考えてはならない。
○モンゴルを否定し、漢族主義・中華主義を標榜した明朝は、明らかに、巨大敵国の方式をモンゴルから受け継いでいた。そのパターンを取りこんだ「巨大な中華」は、明、清、民国を経て現在に生き続けている。
が独裁専制の「内向き」帝国になり下がらなければ、「大航海時代」は、少なくともアジア・アフリカ方面に関しては、ヨーロッパ人のものであったかどうかわからない。(!!) 「モンゴル・システム」が生き続けていれば、東からの「大航海時代」がなかったとはいいきれない。少なくとも14世紀までは、技術力、産業力、それから海洋の利用において、「東方」が「西方」を凌駕していた。

歴史の「たら、れば」はともかく、「モンゴルの時代」の面白さについて、これでもかと示してくれる本である。