Sightsong

自縄自縛日記

バンコクの「めまい」というバー

2011-03-06 01:39:40 | 東南アジア

今年に入ってバンコクに3回、あわせて3週間くらい滞在した。仕事であるから昼間はあまり街中をうろうろできず、夕食を取る場所ばかりいびつに詳しくなっていく。最後にぜひにと薦められて昇ったのが、サートーン通りBanyan Treeという高層ホテルの屋上にあるバー「Vertigo」。ヒッチコックの『めまい』だ。


G. Byrne Bracken『A Walking Tour BANGKOK』にあるBanyan Treeのイラスト

この高級ホテルに幾らで宿泊できるか知らないし、一度この中のタイ料理店に入ろうとしてメニューを見て値段に驚愕、すごすごと戻った。そんなわけで、また入るとは思わなかった。

エレベーターで最上階まで昇り、さらに階段でオープンエアの屋上に出る。そこがバーになっている。夜の曇り空の下に大都市バンコクが広がっている。これは凄まじい。ついでに言えば、高所恐怖症の自分には少し微妙である。試しにホテル真下のテニスコートを撮ろうと眺めてみたが、もうそんな無意味なことはやめようと思った。


バーテン


西側のサートーン通り、何度も渡った歩道橋が見える


北側にルンピニ公園が見える


テニスコートでは豆粒がプレイしている


『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』

2011-03-06 00:21:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

浅川マキ急逝後の2010年5月に出た映像、『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』をようやく観た。発売前から予約して買っておいたにも関わらず、なかなか「観賞」に気持ちが向かわず、プレイヤーに入れる気にならなかったのだった。

リハーサルを含め、文芸坐ル・ピリエ新宿ピットインでのライヴ風景がいくつも収められている。

「都会に雨が降るころ」は、CD『黒い空間』(東芝EMI、1992年録音)に収録された音源と同じものだった(即興を覚えているから間違いない)。同じライヴならば、最後の「あの人は行った」の映像を見せてほしかったところだ。ミュージシャンの名前を呼びあげる声も併せて、諦めに似た喜びに溢れた演奏だったと思うのだ。ただ、2009年末の新宿ピットインでの映像でもこの曲が収められており、やはり同様の演出に使われている。もはや老いが隠せない、何とも言えない想いに捉われる。だから、自分は何年も浅川マキを聴きにいかなかったのかな。

浅川マキのプロデュースによる宮澤昭『野百合』(東芝EMI、1991年)に関しては、期待していた映像は収められておらず、写真とマキの独白のみ。これは残念だ。

はじめて知るのは、原田芳雄と浅川マキが共演する映画『男からの声』。マキ出演作としては、寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)と、テレビドラマ『恐怖劇場アンバランス』の第7話「夜が明けたら」を知っているのみだった。文芸坐ル・ピリエも登場する白黒映像、これは何だろう。

さらに、柄谷行人がマキに向かって座り、英語で自分の年齢について独白するフッテージもある。何だこれは!

参照
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ
浅川マキが亡くなった
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
宮澤昭『野百合』