Sightsong

自縄自縛日記

藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』

2011-11-12 21:43:46 | 関西

藤田綾子『大阪「鶴橋」物語 ごった煮商店街の戦後史』(現代書館、2005年)を読む。金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』が1920、30年代の旧猪飼野におけるコリアンタウンの成立を描いているのに対し、本書は戦中戦後の変貌を描いている。両者に共通する点は地元に密着した聞き取りに基づくことである。

私が鶴橋に足を運んだのはわずか2回に過ぎず、土地勘はまったくないし、あの雑踏を何を目指してどのように歩いたらよいのか手がかりがなかった。しかし本書を読むと、そのわかりにくさこそが歴史を反映したものであることがわかる。鶴橋駅周辺は戦時中の「建物疎開」によってまるまる空き地に変わり、その空き地が戦後闇市に変貌し、そして商店街へと姿を変えてきた場だったのだ。それらのカオス的な発展が鶴橋の雑踏を生んだということである。同様に疎開空地からマーケットへと移行した場として、渋谷、池袋、上野、大阪の梅田が挙げられている。

鶴橋の闇市は凄まじいエネルギーを呼び寄せ、発生させたものであったようだ。奈良から名古屋から、またさらに遠くから、食物や物資が運ばれ、それが利潤と人びとのイノチを生産し続けた。しばらくは警察に厳しく統制されたものの、1949年頃には統制解除の流れが明らかなものとなってきて、それを抜けたあとには鶴橋商店街の黄金時代が到来する。「鶴橋に行けば何でも揃う」と言われ、近鉄電車の早朝ラッシュ時にさえ鮮魚の買い出し人たちで混雑していたという。もちろんコリアンタウンでもあり、チマ・チョゴリでも韓国食材でも買うことができた。

ここを利用するのはそれなりの理由もあったようで、例えば、石鹸の大手メーカーが問屋に卸す価格が地方により異なっていたため、遠くから来てもまだ利ざやはあった。鶴橋は行商人や業者だけが集まる場ではなく、素人客もまとめ買いをしてオカネを浮かせていた。

もちろんこれは産業構造のゆえであって、時代が変われば状況も激変する。スーパーの進出もあり、鶴橋でも大型ショッピングセンター建設の計画があったという。著者は、古い時代を残した商店街が存続していることを単に良しとすべきではない、と主張しているように思える。それはそうに違いないことであって、自分を含めた他者の視線など、多かれ少なかれ歪んだ欲望が変身しただけのものに過ぎまい。

また、本書によれば、焼肉などの韓国料理屋が沢山出来たのはさほど古い話ではない。老舗「鶴一」の創業者は、戦時中に済州島から大阪に渡ってきて、1948年に鶴橋で蒸し豚屋を始め、1953年頃になってようやくホルモン焼を店に出している。かと言って爆発的にこのような店が増えたのではなく、1970年代にあっても焼肉屋は数軒程度であった。われわれの視線は、よそ者の欲望を孕んでいるだけではなく、時間を移動できる能力を欠いている。

ところで、昨日所用で北九州に足を運んだ際、空港で、下関のフリーペーパー『083』を手に取った。海峡を挟んだ向こう側である。下関のコリアンタウンの特集記事があって、最近、商店街の入り口に「釜山門」が作られているという。力道山の木像が安置された韓国寺さえある。下関は私の生まれ育った街からさほど遠くないが、コリアンタウンには足を運んだことがない。関釜フェリーに乗りたいと思い続けてまだ果たせていない。いつかぜひ。

●参照
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
梁石日『魂の流れゆく果て』(金石範の思い出)
鶴橋でホルモン(鶴一)


オリヴィエ・アサイヤス『クリーン』

2011-11-12 20:25:04 | ヨーロッパ

オリヴィエ・アサイヤス『クリーン』(2004年)を観る。

ロック業界。ドラッグで夫を亡くし、自らもドラッグ中毒で収監された女性(マギー・チャン)は、慣れない仕事を探し、いまだ見たことのない真っ当な生活を引寄せようとする。全ては、夫の両親のもとに預けている息子と一緒に暮らすためだった。記憶がこびりついたロンドンを避けてパリへ、そしてヴォーカリストとして録音のオファーがあったサンフランシスコへ赴く。

このときマギー・チャンは40歳前後。斜に構え、虚勢を張る傲慢な態度を変えることができないながら、弱さを暴発させそうな愚かな女性の演技が良い(アサイヤスと離婚したばかりだった)。また、感情を抑える夫の父親を演じたニック・ノルティも良い。口がでかくけだるい感覚のベアトリス・ダルも良い。

しかし何よりも、ライヴ感のあるカメラワーク、アンビエントな音楽とアンビエントなノイズ、短いセンテンスをスピーディーに鋏で断ったような編集が絶妙だった。感動も感情移入もしないが魅せられたことは確かだ。