Sightsong

自縄自縛日記

イタリアの異形即興音楽集団@喫茶茶会記

2019-01-01 22:29:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

四谷三丁目の喫茶茶会記にて、片岡文明氏による「イタリアの異形即興音楽集団」と題したレコードコンサート(2019/1/1)。

即興音楽家集団・Musica Elettronica Viva(1966年~)と、そこに身を置いて、集団を「盗んだ」とも言われたジャック・イヴァン・コケットとパトリシア・コケット。60年代末期にアメリカに紹介された音源は現代音楽ベースながら、コケットが入った70年盤はモールス信号プラスアルファのようで、素朴な面白さがある(片岡氏はつらいと話していたが)。

上記グループと共通するメンバーを擁しながらも異なるサウンドを作ったグループ・Gruppo di Improvvisazione Nuova Consonanza(1964年~)。エンニオ・モリコーネが参加し(トランペットを吹いている)、またモリコーネを結節点として映画音楽との往還を行ったため、実に映画的でサスペンスフルに聴こえる。楽器の音もダイレクトだったりして愉しい。映画『冷酷なる瞳』のサントラなんか欲しい。片岡氏は、ジャズの10月革命と同時期にこのような動きがあったという面白さについて語った。

クラシックや写真家リチャード・アヴェドンのアシスタントなど多彩な遍歴を経た人ダヴィデ・モスコーニと、マルコ・クリストフォリーニとが小さな村で結成した即興音楽集団・N.A.D.M.A(1972年~)。なるほどかなり違う。ときにフリージャズ的でもあり、ときに繰り返しと麻痺とによる朦朧とさせられるサウンドもあり。ただ楽器ひとりひとりの輪郭ははっきりしている。

マルコ・ロッシとウォルター・マイオリにより結成されたGrupo Afro Mediterraneoを原型として、ロッシはI.P.Son Groupを、マイオリはAktuaraを結成。I.P.Son Groupはわりと綺麗なアレンジで、抒情的でもあり、逆に猥雑な面白みに欠ける。Aktuaraの作品3枚のうち2枚にはトリロク・グルトゥが参加しており、これもまた上手い人による洗練されたサウンドである。やはりスムーズ過ぎて、比較すると物足りなく感じられてしまうのだが、これらだけを聴いたらまた印象が異なるかもしれない。

最後はパフォーマー3人によるInsiememusicadiversa。アートへの距離が近い。音楽以外のところを含めて異常に愉しそうだ。

知識のほとんどない領域なのですごく面白かった。ここから別世界への探索を始めるか・・・。


マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』

2019-01-01 13:31:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』(International Anthem、2017-18年)を聴く。

Tracks 1-6 (New York Side):
Brandee Younger (harp)
Joel Ross (vib)
Tomeka Reid (cello)
Dezron Douglas (b)
Makaya McCraven (ds)

Tracks 7-11 (Chicago Side):
Shabaka Hutchings (ts)
Tomeka Reid (cello)
Junius Paul (b)
Makaya McCraven (ds)

Tracks 12-16 (London Side) :
Nubya Garcia (ts)
Ashley Henry (Rhodes)
Daniel Casimir (b)
Makaya McCraven (ds)

Tracks 17-22 (Los Angeles Side):
Josh Johnson (as)
Miguel Atwood-Ferguson (vln)
Jeff Parker (g)
Anna Butterss (b)
Carlos Niño (perc)
Makaya McCraven (ds)

NY、シカゴ、ロンドン、LAと4拠点での演奏であり、それぞれの雰囲気がまるで違っていてとても面白い。聴かないと損するぞ。

NYでは、尖ったサウンドを作ってきたチェロのトメカ・リードがいるし、精鋭ベース奏者デズロン・ダグラスもいる。ピーター・エヴァンスの新グループ「Being & Becoming」に入った若いヴァイブ奏者ジョエル・ロスにも注目(エヴァンスも座談会で言及した)。精緻に音の層が組み合わされ積み重ねられているようなサウンドである。

シカゴ編にもトメカ・リードがいるし、なぜかロンドンのシャバカ・ハッチングスもいる。ざわざわ感が、マクレイヴンやベン・ラマー・ゲイらのInternational Anthemを通じた発信にも共通していてたまらない。

ロンドン編には、シャバカではなく、サックスのヌビヤ・ガルシアが参加している。ストレートでありながらビートとリピートが現代的でとても良い。

LA編にはギターのジェフ・パーカーや、やはり他分野横断的なヴァイオリンのミゲル・アトウッド・ファーガソンが参加している。手馴れたセッション感もあり、ソウルでも現代ブルースでもビート・ミュージックでもあって、これもまた良い。

そしてマクレイヴンは、まるで全体の設計図や地図を俯瞰しながらもダイナミックな更新を続け、そのあり方とは対照的に、オートマティックではなく人間の熱いビートを叩いている。

●マカヤ・マクレイヴン
マカヤ・マクレイヴン@ブルーノート東京(2018年)
マカヤ・マクレイヴン『Highly Rare』
(2016年)


橋本明子『日本の長い戦後』

2019-01-01 12:22:14 | 政治

橋本明子『日本の長い戦後 敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか』(みすず書房、原著2015年)を読む。(みすず書房の本をkindleで読むことができるのはうれしい。)

敗戦のトラウマとは、必ずしも国家レベルでの言説のありようだけではない。国民としても、自身が巻き込まれたこと、あるいは直接的・間接的に加害に加担したこともトラウマとなっている。また個人としての国民は、家族や近い者が間違った戦争に関わったことによっても、複雑な物語を負担し、再生産している。

本書は、そのようなトラウマに起因する記憶の語り直しを、多くの声を収集することによって分析したものである。様々な類型が見出されている。被害による切実な苦悩、苦難。無力感の継承(やむを得なかったのだという庶民と化す)。無力な中でも良心による対処(気高い無力さ)。全員が無力ならば被害者意識は強固なものとなる。

著者は、そういった言説の創出や共有において、無意識に、あるいは沈黙や不詮索という協力関係によって、他者への加害が消し去られていることをひとつひとつ指摘する。厄介なのは、それが記憶する義務や反戦の誓いといった良心によって駆動されていることだ。正確な史実よりも、近しい人との連帯や記憶の継承というわけである。

ここから得られる真の教訓はなにか。無力への欲望、考えなくてよいことの安寧ではない(戦勝国の戦争証言には、ほとんど無力感がみられないという)。考えて、次の社会に実際に結び付けてゆくことである。「自己免罪的な衝動を抑える努力を積み重ねていく」ことである。これは痛い。

「良心的兵役拒否、上官の違法命令に対する不服従、過剰な軍事力行使に対する異議申し立て、戦時国際法が保証する民間人や戦闘員の人権保護といった課題について戦後市民が考える機会を得、知識も積んでいけば、権威・権力の社会構造に強く抵抗することもできるかもしれない。こうした知識は軍事力を統制するうえで大切なものだが、にもかかわらず、戦後世代に与えられてきた社会的処方箋は、軍事力の構築自体を避けるというものだけだった。この処方箋は市民の牙を抜き、いざというとき国家権力に対してとりうる抵抗手段を奪っている。それにより、日本社会には深いところまで無力化の構造が根を下ろしていった。」

これは、「知りつつも知らない」からさらに「なかったことにする」というおぞましい自己防衛行動=歴史修正主義へという反動の流れを生んでいる。もちろん無理がある。だからその手の本や映画や発言がグロテスクなものにみえるわけであり、そうであるならば、グロテスクをグロテスクだと言い続けるほかはない。痛みを抱えて矛盾だらけの領域を探索するほかはない。一足飛びの文化コードの書き換えは野蛮である。

ただ、著者もいうように、勇気をもって深く内省し、反省を表明することが、あまり日本では価値があるものとして共有されていない。あるいはその言説のフォーマットが欧米ふうであることも確かではあるだろう。一方で、ナショナリストたちに「コスモポリタニズムに対する文化的抵抗の特徴が認められる」のも確かである。どっちがマシか、答えは明らかだ。

ところで、自分には新鮮な指摘があった。たとえば実態は加害によって手が汚れている「祖父」について、「愛する人を守るために戦った」ことにするしかない「思いやりのある優しい、かっこいい祖父」という記憶の語り直しのことである。著者は、こうした類型は、「21世紀の理想に合わせ、恋愛の時代に育った若い受け手の心に響くよう更新したもの」であり、「戦中世代は概して、家族生活に対する愛着が今の人たちよりも弱かったが、このことはあまり知られていない」とする。なるほど、その視点は面白いかもしれない。

●参照
伊藤智永『忘却された支配』
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集


マグネティ・カルテット『M』

2019-01-01 09:55:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

マグネティ・カルテット『M』(Daiki Musica、2017年)を聴く。

Masa Ogura マサ・オグラ (ds)
Atsushi Ikeda 池田篤 (as, ts, ss)
Hakuei Kim ハクエイ・キム (p)
Daiki Yasukagawa 安ヵ川大樹 (b)

何人かから、マサ・オグラが凄いから観たほうがいいと囁かれた。

聴いてみると確かにフリーで驚かされる。池田篤、ハクエイ・キム、安ヵ川大樹というテクニシャンを大きな渦の中に巻き込みつつ、四者がそれぞれ自己を発散している。古いも新しいもない演奏である。台風の眼たるマサ・オグラの運動はラシッド・アリを彷彿とさせる。

千葉県から出ないとも聞いたのだが、それは事故で「半身不随」となったからでもあるのだろうか。確かにこの録音も稲毛のCandyであり、ライヴスケジュールにもCandy、市川h.s.trash、本八幡cooljojo、柏Nardisと千葉ばかりである。いずれ観に行くつもりである。


2018年ベスト(JazzTokyo)

2019-01-01 01:15:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

JazzTokyo誌における2018年のベストパフォーマンス・ディスクとして、私は(僭越ながら)以下を挙げました。

このパフォーマンス2018(海外編) マタナ・ロバーツのソロ(2018年11月)

このパフォーマンス2018(国内編) 永武幹子・齋藤徹デュオ(2018年7月) 

このディスク2018(海外編) バール・フィリップス『End to End』 

このディスク2018(国内編) 廣木光一・渋谷毅『Águas De Maio 五月の雨』 

●参照
2017年ベスト(JazzTokyo)


一噌幸弘『幽玄実行』『物狂 モノグルイ』(JazzTokyo)

2019-01-01 01:08:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

『幽玄実行』(2011年)

Yukihiro Isso 一噌幸弘 (能管, 田楽笛, 篠笛, recorder, 角笛)
Yoriyuki Harada 原田依幸 (p)
Ko Ishikawa 石川高 (笙)
Takinojo Mochizuki 望月太喜之丞 (邦楽打楽器)

『物狂 モノグルイ』(2011年)

一噌幸弘 (能管, 田楽笛, 篠笛, recorder, 角笛)
Yoriyuki Harada 原田依幸 (p)
Tatsuya Yoshida 吉田達也 (ds)

>> #1582 『一噌幸弘 / 幽玄実行』『一噌幸弘 / 物狂 モノグルイ』(セシル・テイラー追悼)

●一噌幸弘
『Vier Tiere』(1994年)


リューダス・モツクーナス+大友良英+梅津和時@白楽Bitches Brew(JazzTokyo)

2019-01-01 00:58:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

白楽のBitches Brew(2018/12/8)。

Liudas Mockūnas (ts, ss)
Yoshihide Otomo 大友良英 (g)
Kazutoki Umezu 梅津和時 (bcl, cl, ss, as)

>> #1054 リューダス・モツクーナス×大友良英×梅津和時

●リューダス・モツクーナス
「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)
ウラジーミル・タラソフ+エウジェニュース・カネヴィチュース+リューダス・モツクーナス『Intuitus』(2014年)

●大友良英
大友良英+マッツ・グスタフソン@GOK Sound(2018年)
阿部芙蓉美『EP』(2014年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
井上剛『その街のこども 劇場版』(2010年)
『その街のこども』(2010年)
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』(2009年)
サインホ・ナムチラックの映像(2008年)
大友良英の映像『Multiple Otomo』(2007年)
『鬼太郎が見た玉砕』(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(2003年)

●梅津和時
ニュージャズホールって何だ?@新宿ピットイン(2018年)
マイケル・ヘラー『Loft Jazz: Improvising New York in the 1970s』(2017年)
生活向上委員会2016+ドン・モイエ@座・高円寺2(2016年)
くにおんジャズ(2008年)
『鬼太郎が見た玉砕』(2007年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、1997年)
向島ゆり子『Right Here!!』(1995-96年)
梅津和時+トム・コラ『Abandon』(1987年)
梅津和時『竹の村』(1980年)


即興的最前線@EFAG East Factory Art Gallery(JazzTokyo)

2019-01-01 00:48:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

東葛西のEFAG East Factory Art Galleryにおいて、「即興的最前線」(2018/11/24)。

Wakana Ikeda 池田若菜 (fl)
Takuro Okada 岡田拓郎 (g)
Ayako Kato 加藤綾子 (vln)
Mitsuru Tokisato 時里充 (養生テープ)
Natsumi Nogawa 野川菜つみ (materials, PC)
Hikaru Yamada 山田光 (sax)
Narushi Hosoda 細田成嗣 (企画)

>> #1057 即興的最前線

●池田若菜
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)
Sloth、ju sei+mmm@Ftarri(2017年)

●加藤綾子
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)

●時里充
フタリのさとがえり@Ftarri(2018年)

●山田光
this cat、山田光&ライブラリアンズ@Ftarri(2017年)
Sloth、ju sei+mmm@Ftarri(2017年)
山田光&ライブラリアンズ『the have-not's 2nd savannah band』(2016年)
『《《》》』(metsu)(2014年)