竹橋の国立近代美術館に足を運び、ジョセフ・クーデルカ展を観る。大規模なものとしては、2011年に東京都写真美術館で開かれた『プラハ1968』(>> リンク)以来である。
ジョセフ・クーデルカ(ヨゼフ・コウデルカ)は、チェコスロバキア出身。「プラハの春」の撮影により、故国を離れ西側に亡命せざるを得なくなるわけだが、本展で紹介されている若き日の写真群は、クーデルカが政治ドキュメントの写真家にとどまらないことを示している。既にこの段階で、ピンボケにせよ、画面構成にせよ、強い方法論をみることができる。
そして、中東欧のロマ、ジプシーを撮った「ジプシーズ」。欧州のさまざまな国々において、抑圧され、疎外された環境下で生きている人々やその痕跡を撮った「エグザイルズ」。プラハ侵攻。パノラマフォーマットにより、平板なことばでは捉えられない風景を撮った「カオス」。
いずれも、息を呑むほど胸を衝く。この力は何だろう。
いかに弾圧し、抑圧し、滅却しようとしても、あるいは実際に物理的な滅却をなしえたとしても、人間の個をすべて潰してしまうことはできない。少なくとも、これらの写真群には、そのような被写体と写真家の激烈な意思が漲っていることは確かである。