Sightsong

自縄自縛日記

久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』

2007-11-03 23:48:46 | 沖縄

中野の「Plan B」で、『久高オデッセイ』(大重潤一郎、2006年)を観た。

いまやイザイホーが行われなくなった久高島の現在の姿である。神女は70歳で引退だから、前回1978年のイザイホーで30歳だった方も、もう来年には神女でなくなるわけだ。映画でも、本来イザイホーを行っていたはずの2002年に、行えない旨を神に謝っている場面が映されている。

それだけでなく、過疎化、高齢化、近代化を示すような出来事が、つぎつぎに示される。もはやサバニ(近海の釣りに使うクリ舟)を修理できる人は1人しかいないこと。ソールイガナシー(60代の男性が持ち回りで行う漁労祭祀の責任者)の成り手が少なく、2人が任期2年であるべきところを1人が3年半も務めたこと。米寿のお祝い。長生きをした方の葬式。

ここで一転して映画が強調しはじめるのは、祭祀はイザイホーだけでなく数多くあり、それらは今でも日常生活の一環として行っていることだ。それから、「久高振興会」が伝統復興のため、イラブー(エラブ海蛇)の漁を再開する意志を示し、遂にハッシャ(祭祀を行うかわりにイラブー漁・販売の権利を得ていた家)の代行が成立して、8年ぶりにイラブー漁が再開されることも、明るい材料として示される。

私が久高島を訪れたのは、まさにその8年ぶりの漁を夜中に行った翌日だったことがわかった。崖下のイラブーガマで、うごめくイラブーを捉えていく様子が記録されている。凄い!・・・実はその後、給餌せず1ヶ月間放置して、頭を叩いて殺し、燻製に処していたのだ。知らなかった。しばらく放置するのは、ハブ酒づくりと同じく、糞を出し尽くさせるためかな。

燻製は、一度真っ直ぐにして燻ったあと、くるくる巻いて再度燻すようだ。那覇の牧志公設市場なんかに吊るしてある奴は、そうして作られたのだろう、もっとも他の島のものが多いようなので、近代化の度合いは違うかもしれないが。燻製を行う「バイカン小屋」は、1966年や78年の映像にも出てくる、久高殿(くだかどぅん)の一角にある。 そういった新たな試みがあるにせよ、映画からは、雰囲気以外には、「光を取り戻し始めている」久高島の具体的な姿を、さらに見出すことはできなかった。この後の光はどうなっていくのだろうか―――と無責任なことを言うより、たまにスピリチュアルな何かを求めて久高島を訪れる私たちに何ができるのか、だろうか。

映画上映のあとに「寿」のライブがあったが、私は同僚の結婚式の後で疲れ、そこまでで帰った。イラブー汁がほしい。


イラブーガマの外(2005年) Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号


久高島の映像(2) 1978年のイザイホー

2007-11-02 23:33:36 | 沖縄

今朝の毎日新聞、「論点 CO2排出量取引を考える」に登場した。賛成派と反対派の横で語る役、なので気が楽かと思ったが、結構気を使った。

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これまでに久高島で行われた最後のイザイホー(1978年)の映像が、「科学映像館」により、インターネット上で無料で配信されている。『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(伝統文化財記録保存会・下中記念財団、1979年)である。

写真家の故・比嘉康雄が記録したイザイホーであり、この映画にも協力者として名を連ねている。写真は別の角度から撮られており撮影担当は別だから、内容のチェックや映画制作にあたっての橋渡しだろうか。おそらく16mmのカラーフィルムが使われている。映像技術はかなりしっかりしており、完成度が高い。なお、インターネットでも解像度は悪くない。

記録は、参加する女性達が夜篭るために久高殿(くだかどぅん)に作られる「七ツ屋」や、新たに神女になる者が5回渡る「七ツ橋」を作るところからはじまり、イザイホーが終ってから解体するところまでを含む。「七ツ橋」を渡ることは、男たちが海に出て不在のときに浮気をしていないかの「貞操試験」でもある。事前に「ペールリ御願(うがん)」により神の許しを得ていない限りは橋から落ちる、あるいは、浮気を知っている同僚神女が肘で突き落とそうとすることも過去にはあったという(比嘉康雄『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』、集英社新書、2000年)。

また、新たに神女になる者が、祖母の香炉の灰を自分の香炉に分けてもらい、家庭守護の力を受ける場面も、じっくりと記録されている。祭祀そのものも凄いが、このような実際の手続き、しかも最後の記録を見ることができて、とても興味深い。

島のもっとも重要な御嶽である「クボー御嶽」も、中の映像がおさめられている。現在も、女性しか立ち入ることができないため、私は入口をうろうろしただけだ。

4日間の白装束を着ての祭祀は、前回のイザイホーの記録『イザイホウ』(野村岳也、1966年)と同様、慄然とさせられるものだった。記録時間が長いため、ティルル(神歌)もじっくりと聴くことができる。先導する歌声に続き、全員で歌う。とくに外間ノロのウメーギ(補助者)である故・西銘シズさんの甲高い歌声が、神々しくもあり、とても印象的だ。そして「エイファイ、エイファイ」という速いピッチでの全員の小走りを見ていると、朦朧としてくる。

これが撮られた1978年の久高島の人口は、400人ほどだったようだ。その12年前が600人ほど、そして現在は200人ほどだ。ノロなどの神職者、神女やその資格のある方々がいなくなっていることも当然だ。ただ、イラブー(エラブ海蛇)の漁と同様に、復活させたいとの声はあるそうだ。

『沖縄久高島のイザイホー』 >> 第一部 >> 第二部 


映画より、「七ツ橋」を渡り「神アシャギ」に入っていく様子


現在の久高殿(2005年) Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号