中野の「Plan B」で、『久高オデッセイ』(大重潤一郎、2006年)を観た。
いまやイザイホーが行われなくなった久高島の現在の姿である。神女は70歳で引退だから、前回1978年のイザイホーで30歳だった方も、もう来年には神女でなくなるわけだ。映画でも、本来イザイホーを行っていたはずの2002年に、行えない旨を神に謝っている場面が映されている。
それだけでなく、過疎化、高齢化、近代化を示すような出来事が、つぎつぎに示される。もはやサバニ(近海の釣りに使うクリ舟)を修理できる人は1人しかいないこと。ソールイガナシー(60代の男性が持ち回りで行う漁労祭祀の責任者)の成り手が少なく、2人が任期2年であるべきところを1人が3年半も務めたこと。米寿のお祝い。長生きをした方の葬式。
ここで一転して映画が強調しはじめるのは、祭祀はイザイホーだけでなく数多くあり、それらは今でも日常生活の一環として行っていることだ。それから、「久高振興会」が伝統復興のため、イラブー(エラブ海蛇)の漁を再開する意志を示し、遂にハッシャ(祭祀を行うかわりにイラブー漁・販売の権利を得ていた家)の代行が成立して、8年ぶりにイラブー漁が再開されることも、明るい材料として示される。
私が久高島を訪れたのは、まさにその8年ぶりの漁を夜中に行った翌日だったことがわかった。崖下のイラブーガマで、うごめくイラブーを捉えていく様子が記録されている。凄い!・・・実はその後、給餌せず1ヶ月間放置して、頭を叩いて殺し、燻製に処していたのだ。知らなかった。しばらく放置するのは、ハブ酒づくりと同じく、糞を出し尽くさせるためかな。
燻製は、一度真っ直ぐにして燻ったあと、くるくる巻いて再度燻すようだ。那覇の牧志公設市場なんかに吊るしてある奴は、そうして作られたのだろう、もっとも他の島のものが多いようなので、近代化の度合いは違うかもしれないが。燻製を行う「バイカン小屋」は、1966年や78年の映像にも出てくる、久高殿(くだかどぅん)の一角にある。 そういった新たな試みがあるにせよ、映画からは、雰囲気以外には、「光を取り戻し始めている」久高島の具体的な姿を、さらに見出すことはできなかった。この後の光はどうなっていくのだろうか―――と無責任なことを言うより、たまにスピリチュアルな何かを求めて久高島を訪れる私たちに何ができるのか、だろうか。
映画上映のあとに「寿」のライブがあったが、私は同僚の結婚式の後で疲れ、そこまでで帰った。イラブー汁がほしい。
イラブーガマの外(2005年) Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号