Sightsong

自縄自縛日記

『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』

2011-03-06 00:21:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

浅川マキ急逝後の2010年5月に出た映像、『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』をようやく観た。発売前から予約して買っておいたにも関わらず、なかなか「観賞」に気持ちが向かわず、プレイヤーに入れる気にならなかったのだった。

リハーサルを含め、文芸坐ル・ピリエ新宿ピットインでのライヴ風景がいくつも収められている。

「都会に雨が降るころ」は、CD『黒い空間』(東芝EMI、1992年録音)に収録された音源と同じものだった(即興を覚えているから間違いない)。同じライヴならば、最後の「あの人は行った」の映像を見せてほしかったところだ。ミュージシャンの名前を呼びあげる声も併せて、諦めに似た喜びに溢れた演奏だったと思うのだ。ただ、2009年末の新宿ピットインでの映像でもこの曲が収められており、やはり同様の演出に使われている。もはや老いが隠せない、何とも言えない想いに捉われる。だから、自分は何年も浅川マキを聴きにいかなかったのかな。

浅川マキのプロデュースによる宮澤昭『野百合』(東芝EMI、1991年)に関しては、期待していた映像は収められておらず、写真とマキの独白のみ。これは残念だ。

はじめて知るのは、原田芳雄と浅川マキが共演する映画『男からの声』。マキ出演作としては、寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)と、テレビドラマ『恐怖劇場アンバランス』の第7話「夜が明けたら」を知っているのみだった。文芸坐ル・ピリエも登場する白黒映像、これは何だろう。

さらに、柄谷行人がマキに向かって座り、英語で自分の年齢について独白するフッテージもある。何だこれは!

参照
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ
浅川マキが亡くなった
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
宮澤昭『野百合』


楊樹鵬『我的唐朝兄弟』

2011-03-05 13:20:26 | 中国・台湾

以前に杭州の書店で買ったDVD、楊樹鵬『我的唐朝兄弟/The Robbers』(2008年)を観る。

タイトル通り、唐朝時代の強盗二人組の物語である。立ち寄った村で政府軍を数名殺したところ、次は十名程度、その次は数十名と政府軍の数が増えていく。法律を守らなければと二人を縛り軍に通報する村長、お構いなしの狼藉ぶりの軍人、右往左往する村人たち、何がしたいのかよくわからないが暴れまくる二人組。熊のような姜武と、『レッドクリフ』にも趙雲役で出ていた野性的な伊達男・胡軍が良い感じである。

監督の楊樹鵬は『烽火』という抗日期の映画も撮っているようで、このごった混ぜ的手腕ならこれも観てみたいところだ。あまりにも下手でダサい映画『RED』には彼の爪の垢を与えるべきだ。

●参照
ジョン・ウー『レッドクリフ』


上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』

2011-03-03 23:39:10 | 沖縄

7時間以上のバンコクへの機内で、上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』(ボーダーインク、2009年)を読むことができた。一昨年はこの侵攻から400年、ただ具体的な経緯をあまり知らなかったため、とても勉強になった。戦史だけではなく、琉球王国をアジアの海洋国のひとつとして位置づけ、交易や力関係を描いた良書である。

○琉球の交易活動は外来勢力に依存していた。明朝や東南アジアへの文書作成・通訳は久米村の中国人が担当し、朝鮮語の通訳は琉球に住む日本人が行っていた。16世紀後半には久米村は衰退した。
○16世紀、石見銀山の銀生産が増大し、世界の3分の1に達した。スペインがボリビアで生産する銀とともに、ほぼすべて中国に吸収された。明朝には銀の貨幣システムがあった(杉山正明『クビライの挑戦』には、銀の貨幣利用が元・モンゴル帝国以降であることが示されている >> リンク)。
スペインによるフィリピン侵略(1571年)は、マニラを交易センターに押し上げ、海域アジアの交易をさらに活発化させた。琉球は16世紀に入って明朝の優遇策撤廃もあり交易活動を低下させていたが、なお、ビルマによるシャムのアユタヤ陥落後(1569年)、マニラを中心として交易活動を行っていた。しかし、琉球の対フィリピン交易も1600年前後には途絶した。
○単一の国際体制はこの時代には当てはまらない。中国という圧倒的な存在、しかし各国は独自秩序の世界観に立ちながら、他国の外交論理を我が物として利用した(中国の冊封・朝貢体制をも)。
○琉球には日本から多くの禅僧が渡来しており、国境を越えた禅宗ネットワークがあった。細川氏、大内氏、島津氏らと琉球との通交にも、島津氏の侵攻時の交渉でも、このネットワークが大きく影響した。
○琉球にとっては交易の低下をくいとめることが必要であり、中国の冊封使節団の交易品を買い取るため、島津氏からの商船派遣を要請する状況があった。このため琉球は日本から多額のオカネを借り、経済的依存を強めた。
○島津氏は15世紀には琉球の領有ではなく、琉球との通交権を求めていた。しかし九州での支配力を強めるに従い、その姿勢はシフトしていく。16世紀には明らかに琉球を下位の存在として扱うようになってきた。ところが16世紀末、島津が豊臣秀吉の支配に屈し、その意向は日本の中央政権(秀吉)を代弁するに過ぎないものとなった。そして秀吉は1588年、島津氏を介し、琉球に対して武力で滅ぼすぞとの恫喝外交を行うに至った。
○秀吉の構想では、明は対等国、朝鮮・琉球は属国との認識であった。朝鮮出兵は明の征服のためであり、さらにはスペイン領フィリピン、台湾にも日本への従属を求めた。これは中国を中心とした東アジアの国際秩序に対する挑戦であった。北京に天皇を移して都とし(!)、インド征服も視野に入れていた。
○一方、琉球にとって明朝は宗主国であり、秀吉の論理をやすやすと受け入れることなどできなかった。琉球は秀吉の企てを明に通報するなどの情報戦(インテリジェンス)を計った。
○明の側には、島津氏に豊臣政権を離脱させ、薩摩を介して、琉球・シャム・ベトナム・ポルトガルなどの戦力を日本に侵攻させるという驚くべきプランまであった(!)。
○秀吉の死の6年前、朝鮮において、「琉球人が秀吉を暗殺した」という噂が流れた。秀吉への憎悪と、戦争終結の願いとが生み出した風説であった。
○徳川政権に代わり、島津氏の軍事行動推進よりも、琉球には日明国交回復の仲介をさせることのほうが重要視されてきた。これにより琉球が日明交易の中継地となれば、島津氏の琉球を利用した独占的権益は失われ、出兵の大義名分を失ってしまう。このため、島津氏は関係を明確化する必要に迫られた。そのようにして島津氏の琉球出兵計画が提起されていった。
○島津侵攻に際して、よく言われるように、琉球は無抵抗で屈したわけではなかった。那覇の港を集中的に守る戦略も不適切なものではなかった。両者の戦力の決め手は、戦争に対する慣れと、鉄砲の保有比率であった。
○明は日本の傘下に入った琉球との朝貢関係を断絶しなかった。琉球に援軍を送らなかったという負い目と、琉球が完全に日本に取り込まれて脅威化することの懸念によるものであった。


エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』

2011-03-03 21:29:35 | 思想・文学

バンコクからの帰途、エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限 フィリップ・ネモとの対話』(ちくま学芸文庫、原著1982年)を読む。レヴィナスが1981年に行ったラジオ対話の記録である。そのため、執拗にして晦渋極まるレヴィナスの哲学書よりもシンプルである。

レヴィナスには存在のざわめきが聞こえていた。「ある」とは「語られたこと」でも知でもなく、それを超越したもの、我執では捉えることのできないざわめきであった。存在から抜け出すための思考の到達点として、主権の廃位、無私無欲な他者への責任があった。この思考の原点には、フッサールやハイデガー以前に『聖書』があったことが赤裸々に語られている。

『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』において今ひとつ腑に落ちなかった、近い他者と<顔>についての考えが、この対話を通じて伝わってくる。あまりにも無防備でヴァルネラブルな<顔>と向き合うことによって、人はその近い他者に応答せざるを得ず、責任を迫られるのであり、さらには自己の存在に向き合うには、自己が予測不能な世界に無防備に身を投げ出さねばならないのだということ。エロスとは他者に絶対的な他者性を見出すということであり、責任や愛とは異なるということ。総合とは絶えざる対面でなければならないということ。ここにおいて、自我という内面はくるりと反転し、無限の他者へと向けられる。

「肯定的に言えば、他人が私を見つめるやいなや、私には他人に責任があると言えるでしょう。この他人に対して責任をとらなければならないというのではなく、相手の責任が私に課せられるのです。それはまさに、私がおこなうことの彼方へと向かう責任です。」

「責任を負うのはつねにこの私であり、歴史がいかなる帰結になろうとも、宇宙〔世界〕を支えているのはいつでもこの私なのです。」

この思考は過剰な奉公でも殉教精神でも、ましてや自己否定でもない。如何に苛烈な言説であっても、誰もが持つヴァルネラブルな<顔>が「死に曝されている」という、目をそむけたくなる事実からの延長に過ぎない。

「世界のなかに存在していることで、私は誰かの場所を奪っているのではないでしょうか。存在に対する素朴で自然な執着を疑問視するべきです!」

この言葉は、<帝国>に当てはめても、学校や会社における小さな社会に当てはめてもよいものに違いない。ジャック・デリダが<他者>への裏切りが不可避である世界を顕在化させようとしたことにも通じている。

「私は他の者を犠牲にすることなく、もう一方の者(あるいは<一者>)すなわち他者に応えることはできない。私が一方の者(すなわち他者)の前で責任を取るためには、他のすべての他者たち、倫理や政治の普遍性の前での責任をおろそかにしなければならない。そして私はこの犠牲をけっして正当化することはできず、そのことについてつねに沈黙していなければならないだろう。」
「あなたが何年ものあいだ毎日のように養っている一匹の猫のために世界のすべての猫たちを犠牲にすることをいったいどのように正当化できるだろう。あらゆる瞬間に他の猫たちが、そして他の人間たちが飢え死にしているというのに。」
ジャック・デリダ『死を与える』

●参照 他者・・・
エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは
徐京植『ディアスポラ紀行』
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
柄谷行人『探究Ⅰ』
柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
高橋哲哉『戦後責任論』
戦争被害と相容れない国際政治