Sightsong

自縄自縛日記

種まき種まかせ 第3回ー冬の手ー@OTOOTO

2019-01-14 22:17:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

東北沢のOTOOTO(2019/1/13)。

Kokichi Yanagisawa 柳沢耕吉 (企画, g, cassette tape)
Jumpei Ohtsuka 大塚惇平 (笙)
Chiho Suzuki 鈴木ちほ (bandoneon)
Yusuke Kawamura 川村祐介 (tp)
Hideo Ikegami 池上秀夫 (b, チラシ)

前回の「種まき種まかせ」が各々の行為の効果を試すようなものだとすると、今回は、全員が全員のサウンドを見渡して貢献してゆくような面白さがあった。これには同じメンバーという理由も、演奏者と目撃者とが同じ場を共有するという理由もあるのかもしれない。

ファーストセットでは、まるで薄紙を重ね合わせるような感覚のサウンドで始まった。ところが、柳沢さんが弦で撥音を発したことを機に、誰もが足や楽器を使って擦音を出してゆく。そのようなつながりがあった。

セカンドセットは、重ね合わせから混ぜ合わせに移り変わる。池上さんの使うチラシは、もみほぐされて次第に柔らかな音になる。それは媒体にもなり、バンドネオン、トランペット、笙、カセットテープが層ではなく一体化してゆく。そのため誰が音を出しているのかわからないことがあり、気が付くと、別のほうから聴こえてきたはずの音が大塚さんのヴォイスでもあったりした。こちらの意識も混濁した。

次の「種まき種まかせ」は春か。各々自らの貢献の確認(前回)、多層化と混濁(今回)、さて次回はどうなるか。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans12mmF2.8

●柳沢幸吉
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)

●大塚惇平
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)

●鈴木ちほ
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)
impro cats・acoustic@なってるハウス(2018年)
鈴木ちほ+荻野やすよし(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2018年)
鳥の未来のための螺旋の試み@ひかりのうま(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(2017年)
りら@七針(2017年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年) 

●川村祐介
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)

●池上秀夫
長沢哲+近藤直司+池上秀夫@OTOOTO(2018年)
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)


ケリー・グリーン@サンフランシスコ Black Cat

2019-01-14 21:42:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

サンフランシスコのBlack Cat(2019/1/11)。

Kelly Green (p, vo)
Evan Hyde (ds)
Alex Tremblay (b)

というのも、クリスチャン・マクブライドが「one of the most talented and spirited people I know. Everything about her is joyous and swingin’!」と言ったとか。確かに鍵盤とヴォイスとがハモっていくのはすごく気持ちいい。

「Jitterbug Waltz」などでゴキゲンに始めて、さてこんな感じでスインギーに続くのかなと思っていると、「If I Love Again」のあとはバードの「Relaxin' at Camarillo」にちょっと驚かされた。「It Might As Well Be Spring」、そして、ロイ・ハーグローヴに捧げるとして「Never Let Me Go」。この何日か前に観たセオ・クロッカーのライヴでも同じようにロイにと同曲を演奏した。みんなのロイの記憶はこれなんだな。ファーストセットの最後は「Gone with the Wind」。

客席は大声で話に夢中なカップルや女子軍団などでかなりアレだが、そして別に驚くほどのことではないのかもしれないが、ジャズ愛は良いものである。(翌朝の早朝便のことを思い出して、セカンドセットは聴かずに帰った。)

Nikon P7800


Luggage Store Creative Music Series@サンフランシスコ Luggage Store Gallery

2019-01-14 10:05:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

サンフランシスコのLuggage Storeに足を運んだ(2019/1/10)。

ここではサックスのレント・ロムスが定期的にインプロのキュレーションを行っている。周辺はホームレスが多い地域であり、また雑然としていてどこが入口がわからない。ロムスにメッセンジャーで訊くと、いやドアには鍵はかかっていない、と。いやそういう問題ではなく、近くの店で道を尋ねてうろうろしていたら、ロムスに頼まれたのだろう、あとでプレイしたホルヘ・バックマンが道に出てきてくれた。

この日はロムスはプレイせず、キュレーションと受付とMCのみ。

■ Usfruct

Usufruct:
Polly Moller Springhorn (fl, vo)
Tim Walters (laptop, processing)

Usufructはポーリー・モーラー・スプリングホーンとティム・ウォルターズのデュオである。

ポーリーは2種類のフルートに加え、奇妙に具体的でもある詩を朗読し、叫び、呟く。「学校から家に帰ったら、病院はどうなっているの?わたしの人生はなんなの?」、「家に行った、ガスステーションに行った、道路に出た」などと。

ウォルターズはフルートの高い音、低い音、ヴォイスを加工し、撒いていく。それは現実に近いだけなお悪夢的で、またそれゆえに心にざわりと触る感覚のサウンドを作り上げた。かれはときに「And a bread, and a cheese, and a bread, and a cheese,...」と、また「I will, and she will, and I will, and she will, ... and she went bad」と、ぼそぼそと呟き、さらに悪夢感を増幅させる。最後はウォルターズの「I got over, I got over」という謎の言葉で締められた。

生きることのおぞましさと生きていく力とが示されたようなものに思えた。

■ Thruoutin/ruidobello

Brad Seippel, Jorge Bachmann (modular synth, pedals, computer)

ブラッド・セイペルとホルヘ・バックマンとによる電子サウンドのデュオ。

背後には住宅街の風景が映し出されている。途中で気が付いたのだが、それは動画であった。ときおり鳥が飛び、道路をクルマが走っている。サウンドはミニマルな繰り返しでありながら、多方向から現実世界とも何ともわからない波動が攻めてきて、もはや自分たちがどこにいるのかという認識をぐらつかせる。

そして画面は次第に明るくなってゆき、こちら側とのスクリーンがあることを意識せざるを得なくなってゆく。このあたりの現実の遮断とも現実の取り戻しともつかないものは、安部公房『方舟さくら丸』の最後の反転を思わせた。

バックマンと話すと、渋谷だとかスーパーデラックスだとか東京に妙に詳しい。台湾も含めて来たことがあるそうで、この10月(2019年)にもまた来日する予定だという。


セオ・クロッカー@ロサンゼルス Sam First

2019-01-14 09:12:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロサンゼルスの空港近くにあるSam Firstにて、セオ・クロッカー(2019/1/5)。

なおここでは従来の表記を踏襲するが、「Theo Croker」は、ヒロ・ホンシュクさんによれば、「シオ・クローカー」に近いとのことである。確かに本人もそのように発音していた。

Theo Croker (tp)
Paul Cornish (p)
Tabari Lake (b)
Justin Brown (ds)

ファーストセットは、ニコラス・ペイトンの曲、オリジナル、ラリー・ウィリスの曲、ロイ・ハーグローヴに捧げるとして「Never Let Me Go」。セカンドセットは、ジョー・ヘンダーソンの「A Shade of Jade」、オリジナル、「Embraceable You」(途中でモンクの「Nutty」を入れて自分で受けていた)、オリジナル(「Meditations」というカラフルな感じの曲)。

クロッカーのアルバムはこれまでに『Escape Velocity』を聴いただけなのだが、その若干トリッキーなサウンドとは違って、思いっきりどジャズである。何を体感できるのだろうと期待していただけに、半分は肩すかし、しかし半分はやはりうれしいのだった。ジャズ万歳。

そしてこれもCDではわからなかったことだが、クロッカーのトランペットは小さな音から激しい音まで実にレンジが広く、かつ繊細だ。今回の目当てはずっと観たかったジャスティン・ブラウンだった。たとえばアンブローズ・アキンムシーレの諸作などでは、まるで重力を無視して軽々と飛翔しながら、雲の上で異次元のドラミングをしているような印象だった。しかし、実際にはもっと強く重いものだった。バスドラムからシンバルまですべて正攻法で叩き続け、トニー・ウィリアムスさえ思い出させるものだった。期待を遥かに凌駕した。

ピアノのポール・コーリッシュは20代前半、Theronious Monk Institute出身の俊英だそうであり、クロッカーはその紹介後にああHerbie Hancock Institute、と含みを持たせるように話した。またラリー・ウィリスの曲の前にも、ハービーほど有名ではないけど素晴らしいミュージシャンだと口にしており、何か思うところがあるのかもしれないなと感じた。そのコーリッシュは、決して鍵盤に強くアタックするわけではないのだが、ソフトでとても存在感のある良いピアノを弾いた。

また、ベースのタバリ・レイクはセント・トーマス島の出身だそうであり、ウゴンナ・オケーゴを思わせる、力強く、ラインがはっきりしていて、歌うベースを弾いた。ディー・ディー・ブリッジウォーターと共演もしているようだ(これはクロッカーもそうである)。

クロッカーと終演後に話した。この10月(2019年)あたりに自身のグループで来日する予定があるとのことである。

Nikon P7800

●ジャスティン・ブラウン
アンブローズ・アキンムシーレ『A Rift in Decorum: Live at the Village Vanguard』(2017年)
ジャスティン・ブラウン『NYEUSI』(2015年)
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(2014年)
パスカル・ルブーフ『Pascal's Triangle』(2013年)
ジェラルド・クレイトン『Two-Shade』、『Life Forum』(2009、13年)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(2010年) 
カーロ・デローザ『Brain Dance』(2009年)
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』(2008年)


フレディ・スチューダー+ローレン・ニュートン、サーデット・テュルキョズ、吉田アミ『Voices』

2019-01-05 11:38:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

フレディ・スチューダー+ローレン・ニュートン、サーデット・テュルキョズ、吉田アミ『Voices』(Unit Records、2000、2004年)を聴く。

Fredy Studer (ds, perc, cymbals, gongs, metal)
Lauren Newton (voice)
Saadat Türköz (voice)
Ami Yoshida 吉田アミ (voice)

フレディ・スチューダーが3人のヴォイス・パフォーマーとそれぞれデュオで行った記録である。3人が共演しているわけではない(昨年ローレン・ニュートンに聞いたところ、吉田アミとは共演したことがないと言った)

こうして独特極まりない3人を聴き比べると、個性の違いも際立ってきてとても面白い。言葉への距離も異なるようである。吉田アミは周波数として、サーデット・テュルキョズは語りかける手段として(意味は解らないが、ここでは本質的なものではない)、ローレン・ニュートンは解体して組み替えるものとして。もちろん、声と言葉とは明確に分けられるものではないから、そんな単純なことでもないだろうけれど。

昨年、サーデット・テュルキョズさんを知り文字通り度肝を抜かれたことはずっと覚えているに違いない。また、20年ぶりにローレン・ニュートンさんを観てとても嬉しかった。吉田アミさんも90年代以降ライヴを観ていないが、ずっと気になっている。

●ローレン・ニュートン
ローレン・ニュートン、ハイリ・ケンツィヒ、山崎阿弥、坂本弘道、花柳輔礼乃、ヒグマ春夫(JAZZ ART せんがわ2018、バーバー富士)(JazzTokyo)(2018年)
JAZZ ARTせんがわ2018(2018年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』(1983、84年)

●サーデット・テュルキョズ
内橋和久+サーデット・テュルキョズ@Bar Isshee(2018年)
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)


ポール・ブレイ『Festival International De Jazz Lugano 31 August 1966』

2019-01-05 09:51:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・ブレイ『Festival International De Jazz Lugano 31 August 1966』(Hi Hat、1966年)を聴く。

Paul Bley (p)
Mark Levinson (b)
Barry Altschul (ds)

やはりと言うべきか、自身の曲と、アネット・ピーコック、カーラ・ブレイ。(美的世界が共通することは置いておいても、この人の私生活はどうなっていたのだろう?)

驚いたことに、ソニー・ロリンズの「St. Thomas」も演奏している。確かにこの数年前には共演もしており不思議ではない。ただそれも、ブレイがバップ曲を演奏するときにそうであるように、カリプソであっても、紛う方なきブレイのピアノになっており魅せられる。

最後の曲はカーラ・ブレイの名曲「Ida Lupino」。この演奏もまた何度も聴いてしまうようなもので、聴き終わった直後には、さて今の演奏はどんな展開だったろうとわからなくなってしまう不思議さがある。すべて向こう側のペースで進められてしまうというのか・・・。前年の1965年における演奏は『Closer』に収録されており、聴き比べてみると、『Closer』のほうが手探りのひりひりした緊張感がある。ベースがマーク・レヴィンソンではなくスティーヴ・スワロウであることも大きい。

●ポール・ブレイ
フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』(2004年)
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Synth Thesis』(1993年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
ポール・ブレイ+ポール・モチアン『Notes』(1987年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ポール・ブレイ『Bremen '66』(1966年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)


ジュリアス・ヘンフィル+ペーター・コヴァルト『Live at Kassiopeia』

2019-01-04 23:12:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジュリアス・ヘンフィル+ペーター・コヴァルト『Live at Kassiopeia』(No Business Records、1987年)を聴く。

Julius Hemphill (ss, as)
Peter Kowald (b)

1987年、ヴッパータールにおけるライヴの記録2枚組。

最初に、7分前後のジュリアス・ヘンフィルのソロが3本。バップフレーズを吹いていて、ちょっと意外な感がある。しかしどんな旋律を吹こうがヘンフィルのダークな音色は独特のものだ。かれのフォロワーのティム・バーンが爪を立てて粘っこく突き進む猛禽類だとして、ここでのヘンフィルはバーンよりもときに弱く震える。なんだろう、その震えが奇妙な重音となっているように聴こえる。ヘンフィルは決してマッチョな音楽家ではない。

次にペーター・コヴァルトの30分強のソロ。この人のコントラバスは絹のような音だと思っていた。それは強く張った弦をはじくことが主体ではなく、コントラバス全体のバランスを取って鳴らしているからだろうか。ここでもすべての部分を公平に扱い、さまざまな部分から共鳴とノイズが聴こえてくる。

2枚目はデュオ3本。ヘンフィルとコヴァルトとの相性は最高に良い。サックスがコントラバスの音に接近する時間があり、わかっていてもどういうことかと驚かされる。次第にふたりの音が強靭なものとなって高められていく。

●ジュリアス・ヘンフィル
ジュリアス・ヘンフィルのBlack Saintのボックスセット(1977-93年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』
(1981年)

●ペーター・コヴァルト
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)(コヴァルトのコントラバスを使った作品)
アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』(2002年)
アシフ・ツアハー+ヒュー・レジン+ペーター・コヴァルト+ハミッド・ドレイク『Open Systems』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
ラシッド・アリ+ペーター・コヴァルト+アシフ・ツアハー『Deals, Ideas & Ideals』(2000年)
ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』(2000年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、1991、1998年)
ペーター・コヴァルト『Was Da Ist』(1994年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年) 


青木智幸+望月治孝『LIVE CDR』

2019-01-04 21:20:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

青木智幸+望月治孝『LIVE CDR』(self release、2018年)を聴く。50部限定のno. 50だった。

Tomoyuki Aoki 青木智幸 (g, vo)
Harutaka Mochizuki 望月治孝 (as)

収録されている曲は、オリジナルの他、西田佐和子の「夜霧の向こうに」、河島英吾の「酒と泪と男と女」。

捨て鉢でもやさしくもある青木智幸のヴォーカルとギター。その間とは別の位相で、望月治孝のアルトが断末魔のごとき痙攣をみせる。同じ世界にいながら手が届かない領域で、生命を絞り尽しているようである。

●望月治孝
望月治孝『ガラスをとおして』
(2016年)


森山威男 NEW YEAR SPECIAL 2019 その2@新宿ピットイン

2019-01-03 22:30:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインにて、森山威男 NEW YEAR SPECIAL 2019の2日目(2019/1/3)。

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Nobumasa Tanaka 田中信正 (p)
Dairo Suga スガダイロー (p)

「DuoDuo」の企画の通り、森山威男が両ピアニストと順番にデュオを行うという趣向。

一番手、田中信正。

冒頭は「浜辺の歌」。私は90年代に本多俊之を擁する森山カルテットのライヴ(それも新宿ピットイン、大雪の日)でこれを聴き、こんなアレンジがあるのかと感激した記憶がある。渋谷毅とのデュオ『しーそー』にも収録されており、森山さんのお気に入りなのだろう。ここではバスドラムのインパクトが大きく、森山さんがベーシストを必ずしも必要としないことの理由はこれかと思わされた。激しさでは田中信正も負けてはいない。多くのヴァリエーションとともに曲内での再ブーストを繰り返した。

「My Favorite Things」を経て、「Danny Boy」。『しーそー』における渋谷毅のピアノが安寧の狂気だとすれば、田中信正のそれは動の狂気である。森山さんはブラシでタイコが破れんばかりに叩いた。

続く「Sunrise」でもまた、田中信正の天才ぶりが如何なく発揮された。ベタにあのリズムパターンとコードに乗って熱いソロを繰り出していれば、演奏者も観客もそれなりに熱狂しそうなものだが、田中さんの展開は、テーマとの往還という楔があるにせよ、まるで読めない。そして、「'Round Midnight」にでも行きそうなイントロから「Good Bye」。ここでも田中信正は抒情という誘惑には屈することがなく、清冽な音を並べて動悸動悸させた。森山さんはブラシで暴れるが、前夜同様、ここで出す印籠たる森山スペシャルは100%ではない。

二番手、スガダイロー。

ほぼスガダイローが曲を選び主導した。「The Man I Love」、「I Got Rhythm」、「In A Sentimental Mood」と観客に思わせて「Someone to Watch over Me」、「's Wonderful」、「I Loves You, Porgy」と繰り出し、森山さんも並走した。

そう、並走であった。もちろん剛の者同士の火花もコントラストもあった。しかし、いってみればハードコアなスタイルのスガダイロー、その熱い攻めにいまひとつ森山さんが呼応しない。いや呼応はしていたのだけれど、肉弾戦で斬り込んでいかない。スガさんは物足りなかったのではないか。かつての、森山威男とマル・ウォルドロンのデュオに覚えた感覚と同じである。

アンコールは、なんとスガダイロー・田中信正連弾+森山威男で「Hush a Bye」。ふたりの傑出したピアニストの違いがあらわれて面白かった。

●森山威男
森山威男 NEW YEAR SPECIAL 2019 その1@新宿ピットイン(2019年)
森山威男3Days@新宿ピットイン(2017年)
森山威男@新宿ピットイン(2016年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』(2014年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
『森山威男ミーツ市川修』(2000年)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(1980、90年)
森山威男『East Plants』(1983年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
内田修ジャズコレクション『宮沢昭』(1976-87年)
宮沢昭『木曽』(1970年)
見上げてごらん夜の星を
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』


ドレ・ホチェヴァー『Surface of Inscription』

2019-01-03 11:23:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドレ・ホチェヴァー『Surface of Inscription』(clean feed、2016年)を聴く。

Elias Stemeseder (p)
Charmaine Lee (voice)
Dré Hočevar (ds)
Bernardo Barros (electronics)
Weston Olencki (brass)
Michael Foster (reeds)

いきなり大きなエレクトロニクスに驚かされる。それと同時に、なにか典型的なエレクトロニクス入りのノイズ・アヴァン系音楽が展開されるのかと半ば想像するのだが、それは裏切られる。

徹頭徹尾、まとまりのないサウンドであり、まるで幹を作ることを意識的に拒絶しているかのようだ。手を動かすこと、機器を駆動すること、声を出すことといったサウンドの起点にのみ注目させようとするような・・・。これらすべてがドレ・ホチェヴァーのコンポジションであり、たいした野心家である。

そんな気持ちでサウンドに付き合っていると、最後は、シャーメイン・リーの叫びで空中に放置されたまま終わる。『Ggggg』に驚かされたリーだが、NY即興界で今後も注視しなければならない。

●ドレ・ホチェヴァー
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
ザック・クラーク『Random Acts of Order』(2016年)
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)


ロサンゼルスのMOCAとThe Broad

2019-01-03 10:27:14 | アート・映画

2018年11月末にロサンゼルス・ダウンタウンで立ち寄ったふたつの大きな美術館。道を挟んではす向かいにある。

忘れないうちに。

■ MOCA (Museum of Contemporary Art, Los Angeles)

マーク・ロスコの展示室には7点もの作品。

ジョーダン・キャスティールというNYハーレムで活動する若いアーティストの作品。ハーレム・スタジオ美術館の収蔵品である。背後の壁に思いが書きつけてある。(言うまでもないことだが、政治をアートから切り離して云々という言説のバカバカしさ)

ヴォルフガング・ティルマンス。リアルとの狭間の自覚があるからこそこのように惹かれるのだろうか。

映画のクリス・マルケルは写真も撮っていた。50年代から80年代の作品群。

知らない画家を教えてもらうのはいつも嬉しい。パトリシア・パターソンの「Mary at the Stove」、1993年。

ジェニファー・グイディ(Jennifer Guidi、1972年生まれ)という人は、もこもことしたマチエールで独特のスクリーンを通した作品を創っているようだ。とても良い。

■ The Broad

入場無料なのだが、入口前で電子メール等を登録することが必要。巨大な建物である。

抽象表現主義の作家たちの作品も多い。サイ・トゥオンブリーの部屋もあった。

村上隆の部屋。

バスキア。

ベッヒャー夫妻の部屋も。給水塔の作品群をまとめて観ると、人間活動への畏敬の念のようなものが生まれてくる。

ヨーゼフ・ボイスとアンゼルム・キーファーとは同じスペースに展示されている。かれらはデュッセルドルフで学友でもあった。ベルリンのハンブルガー中央駅(という美術館)でも同様。この春には『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』というドキュが公開されるそうで楽しみだ。

これはボイスとナムジュン・パイクとがマチューナスに捧げて1978年に行ったピアノデュオの記録。

●参照
ベルリンのキーファーとボイス
ハーレム・スタジオ美術館再々訪(2017年9月)
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
村上隆の五百羅漢図展@森美術館(2016年)
ドーハの村上隆展とイスラム芸術博物館(2012年)


森山威男 NEW YEAR SPECIAL 2019 その1@新宿ピットイン

2019-01-02 23:11:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインにて、森山威男 NEW YEAR SPECIAL 2019の初日(2019/1/2)。

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Fumio Itabashi 板橋文夫 (p)
Shinpei Ruike 類家心平 (tp)
Tetsuro Kawashima 川嶋哲郎 (ts)
Watanabe Fire 渡辺ファイアー (as)
Hiroaki Mizutani 水谷浩章 (b)
Hitomi Aikawa 相川瞳 (per)

2年前の新宿ピットインでの3デイズは、森山さんが体調を悪くしていて、いまひとつ納得のいかないものだった。さて今回どうかという懸念もあったし、公演のチラシには「しかし、時や生活の変化とともに音楽的嗜好が変わってくるのは確かだ。そういう自然な変化に合わせて自分のプレーを変えたらどうなるか?」と書いていて、身体に負担のかかるパワープレイを避けるのではないかという予感もあった。

冒頭の「Exchange」で、ひとまずはその不安は払拭された。スタートダッシュがすべてだと言わんばかりに全員ぶっとばしている。いきなり板橋文夫のピアノもリミッターを外している。また、相川瞳のパーカッションとの共存という形も新鮮だ。「渡良瀬」での、トリオになったときの演奏が異様に分厚く、水谷さんの強力なグルーヴがあの怪獣ふたりに伍している。

ファーストセットは、類家心平のレンジが広く濡れたトランペット、ときに他者と別文脈で爆走する森山さん、サウンドに色をのせてゆく相川さんのマリンバなどがとても印象的だった。

セカンドセットは「Alligator Dance」から。サックスふたりのバトルを見ていると、背後に、海から飛びあがる鯨のようなものが・・・。森山威男のドラミングは腰からの躍動もイノチ、なるほど復活している。待ってました「Sunrise」では、ここに来て、他のメンバーに煽られての川嶋さんのソロが乗った。そして作曲者としてのプライドもあろうか、板橋文夫が半立ちで暴れた。「Hush a Bye」での血が滴るような類家さんのトランペット、複雑ではやい水谷さんのベースもさすがである(なお、サックス二人羽織みたいなことをやって笑った)。

最後はトリオで「Good Bye」。やはりピアノのイントロからグッと来てしまう。ベースが支えるようなプレイ。森山さんはここでブラシからスティックに持ち替えて森山スペシャルを披露するはずだったが、それはいまひとつ抑制気味だった。

さて明日はどうなるか。

●森山威男
森山威男3Days@新宿ピットイン(2017年)
森山威男@新宿ピットイン(2016年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』(2014年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
『森山威男ミーツ市川修』(2000年)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(1980、90年)
森山威男『East Plants』(1983年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
内田修ジャズコレクション『宮沢昭』(1976-87年)
宮沢昭『木曽』(1970年)
見上げてごらん夜の星を
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』


クリス・ピッツィオコス+スサナ・サントス・シルヴァ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Child of Illusion』

2019-01-02 13:33:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・ピッツィオコス+スサナ・サントス・シルヴァ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Child of Illusion』(clean feed、2017年)を聴く。

Chris Pitsiokos (as)
Susana Santos Silva (tp)
Torbjörn Zetterberg (ds)

スサナ・サントス・シルヴァはLAMAのトランぺッター、トルビョルン・ゼッターバーグはヨナス・カルハマーと共演を積み重ねてきたベーシスト。クリスが30前、ほかのふたりは40前後と若い。

各人の背景は置いておいても、確かに、三者の発する音は別々の時間の流れをもっている。構造的にコントラバスを重力的な下部に、アルトとトランペットをその上で踊るように幻視してしまうのだが、その三者の間には常に意思や因果の流れがある。

ゼッターバーグはふたりの様子を見ながら弦で管を跳躍させ、サウンド全体を雲で包んでいる。ピッツィオコスは最近のほかの活動とは違って、アトムと化してすべてに入りこむのではなく、生身のアルト吹きとして呼応しているようである。シルヴァのトランペットも柔軟。そういった意味では、即興でありながら対極の室内楽的のようにも思える。

●クリス・ピッツィオコス
フィリップ・ホワイト+クリス・ピッツィオコス『Collapse』(-2018年)
CPユニット『Silver Bullet in the Autumn of Your Years』(2017年)
JazzTokyoのクリス・ピッツィオコス特集その2(2017年)
クリス・ピッツィオコス+吉田達也+広瀬淳二+JOJO広重+スガダイロー@秋葉原GOODMAN(2017年)
クリス・ピッツィオコス+ヒカシュー+沖至@JAZZ ARTせんがわ(JazzTokyo)(2017年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』(2014年)
クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(2014年)
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』(2013年) 

●スサナ・サントス・シルヴァ
LAMA+ヨアヒム・バーデンホルスト『Metamorphosis』(2016年)
アダム・レーン『Full Throttle Orchestra』(2012年)

●トルビョルン・ゼッターバーグ
ヨナス・カルハマー+エスペン・アールベルグ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Basement Sessions Vol.1』(-2012年)


山内桂『live at Futuro cafe』

2019-01-02 12:09:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

山内桂『live at Futuro cafe』(jigen、2017年)を聴く。

Katsura Yamauchi 山内桂 (sax)
Syuichi Chino 千野秀一 (key)
Takashi Miyamoto 宮本隆 (b)
Fumihiko Kimura 木村文彦 (perc)

サックスが、少し新鮮なほどに衒いのない音に聴こえる。これまで山内氏のサックスに感じ取っていた、なにかのマージナルな音とは異なるような印象がある。

あらためて比べてみるつもりで、氏のデビュー盤『Salmo Sax』(2003年)のサックスソロもまた聴いたのだが、既にこの段階でスタイルも技術も、ひょっとすると即興演奏家としての姿勢も完成されているように思える。もっとも、ちょっと聴き齧っただけで進化や発展を云々するのはおこがましいことではある。しかしそれにしても、『live at Futuro cafe』は、『Salmo Sax』におけるショーケース的な要素がなく、それが今回の印象深さなのかもしれない。

最初はソロ、やがて他のメンバーの音と融合してゆくのだが、この融合における自然体もまた奇妙に感動的だ。ベースとパーカッションとが間欠的に励起するサウンドを作り出し、そこに千野秀一のキーボードが彗星のようにやってきては介入する。 

録音はこれと同じく、澤居大三郎氏による。息遣いが捉えられておりみごと。 

●山内桂
千野秀一+山内桂@Ftarri(2018年)
山内桂+中村としまる『浴湯人』(2012年)
山内桂+マーティン・ヴォウンスン『Spanien』(2010年)
山内桂『波照間』、『祝子』(2006、08年)
山内桂+ミシェル・ドネダ『白雨』(2004年)


アーチー・シェップ『Attica Blues Orchestra Live / I Hear the Sound』

2019-01-02 01:01:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

アーチー・シェップ『Attica Blues Orchestra Live / I Hear the Sound』(ArchieBall、2013年)。

Archie Shepp (ts, ss, vo)
Amina Claudine Myers (p, vo)
Tom McClung (p)
Famoudou Don Moye (ds, congas)
Reggie Washington (b)
Darryl Hall (b)
Pierre Durand (g)
Stéphane Belmondo (tp)
Izidor Leitinger (tp)
Christophe Leloil (tp)
Olivier Miconi (tp)
Ambrose Akinmusire (tp) (track 5)
Sébastien Llado (tb)
Simon Sieger (tb)
Romain Morello (tb)
Michaël Ballue (tb)
Raphaël Imbert (as)
Olivier Chaussade (as)
François Théberge (ts)
Virgile Lefebvre (ts)
Jean-Philippe Scali (bs)
Manon Tenoudji (vln)
Steve Duong (vln)
Antoine Carlier (viola)
Louise Rosbach (cello)
Marion Rampal (vo)
Cécile McLorin Salvant (vo)

実は発売当時に入手して聴いてはいたのだが、どうも印象が希薄で、そのまま塩漬けにしていた。気が付くと2枚持っていた(笑)。

あらためて聴いてみると悪くない。アミナ・クローディン・マイヤーズのピアノ、ドン・モイエのドラムス、何よりアーチー・シェップの濁りが届くわけである(何でもそうか)。それに「The Cry of My People」におけるアンブローズ・アキンムシーレのソロはやはり輝いているし、「Quiet Dawn」でのセシル・マクロリン・サルヴァントの声も良い(この人は録音だと迫力が十分に伝わらないような気がする)。

それはまあ、差別や社会問題への怒りを含め再生産の音楽であるから、オリジナルの『Attica Blues』(1972年)におけるリアルタイムの迫真力とは異なる。また、どうしたって、シェップ御大へのリスペクトが音楽にも反映されているから、サウンドは違うものにならざるを得ない。それでも、『Attica Blues Big Band』(1979年)と比べても聴き劣りはしない。

と言いつつオリジナルの『Attica Blues』を聴くと、特別に魅せられてしまうのだった。

●アーチー・シェップ
アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』(2017年)
ヨアヒム・キューン『Voodoo Sense』(2012年)
アーチー・シェップ+ヨアヒム・キューン『WO! MAN』(2011年)
アーチー・シェップ『Tomorrow Will Be Another Day』(2000年)
アーチー・シェップ+ジーン・リー『African Moods』(1984年)
アーチー・シェップの映像『I am Jazz ... It's My Life』(1984年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アーチー・シェップ『Mariamar』(1975年)
アリス・コルトレーン『Carnegie Hall '71』(1971年)
アーチー・シェップ『The Way Ahead』(1968年)
アーチー・シェップ『The Way Ahead』 その2(1968年)
サニー・マレイのレコード(1966、69、77年)
アーチー・シェップ『Mama Too Tight』(1966年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、95年)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1962、63、65年)
セシル・テイラー初期作品群(1950年代後半~60年代初頭)