6月12日(火)
リヨン駅での豪華なランチの後
ミセスマスダの執念でエディット・ピアフ記念館を訪ねた。
何度もメトロを乗り換えて2号線Menilimontantで下車、
Crespin du Gast通りにある住まいを探す。
エッディト・ピアフ CDジャケットより
もう過去の人、近所に住む人も知らない。
住所は判っているのだが中々見当たらない。
最初に尋ねた道行く若い女性はスマホでチェックしてくれたが
なかなか出てこない。
ラッキーにも通りがかった黒人の女性がピアフの事に詳しくて
色々教えてくれ,漸くピアフ記念館を探し当てた。




彼女が誕生した住まいが記念館として公開されている。
住まいの外観は「中の下」と言うところか
まあまあのアパルトマンで、ドラマチック性は感じられない。


開館日と時間は厳密に決まっているようなので、
それに合わせて来たのだが、ベルを押しても開く気配はない。
するとこのアパルトマンから出て来た若い女性が親切に、
また中へ戻りピアフの部屋に直接コンタクトしてくれたが
どうも留守のようで応答がない。
訊ねてくる人も少ないので、予約制になっているのだろう。
パリ滞在の日にちも少なくなって来たので、
開館されている日時に合わせて再訪する時間はない。
ここまで来てその雰囲気を味わえただけで良かったと思う。
ミセス・マスダは先ほどからピアフの歌を口ずさんでいる。
ピアフの話を少しばかり。
生前親交のあった詩人・ジャン・コクトーはその死を聞いて
「とんでもないことだ」と云いながら寝室に。
翌朝、コクトーは心臓発作により死亡したと。
ピアフの葬儀の折は、その死を悼んでパリ中の商店は休業、
40000人のファンが葬儀に参列したという。
その後買い物かたがたオペラ、ラファイエット百貨店、
JCBで日経を読ませてもらいピラミッドからルーブルあたりを散策。
昔泊まった「ホテル・ノルマンディ」も懐かしく、写真をパチリ。

チュユルリーから地下鉄①で帰宅。
リヨン駅での豪華なランチの後
ミセスマスダの執念でエディット・ピアフ記念館を訪ねた。
何度もメトロを乗り換えて2号線Menilimontantで下車、
Crespin du Gast通りにある住まいを探す。

もう過去の人、近所に住む人も知らない。
住所は判っているのだが中々見当たらない。
最初に尋ねた道行く若い女性はスマホでチェックしてくれたが
なかなか出てこない。
ラッキーにも通りがかった黒人の女性がピアフの事に詳しくて
色々教えてくれ,漸くピアフ記念館を探し当てた。




彼女が誕生した住まいが記念館として公開されている。
住まいの外観は「中の下」と言うところか
まあまあのアパルトマンで、ドラマチック性は感じられない。


開館日と時間は厳密に決まっているようなので、
それに合わせて来たのだが、ベルを押しても開く気配はない。
するとこのアパルトマンから出て来た若い女性が親切に、
また中へ戻りピアフの部屋に直接コンタクトしてくれたが
どうも留守のようで応答がない。
訊ねてくる人も少ないので、予約制になっているのだろう。
パリ滞在の日にちも少なくなって来たので、
開館されている日時に合わせて再訪する時間はない。
ここまで来てその雰囲気を味わえただけで良かったと思う。
ミセス・マスダは先ほどからピアフの歌を口ずさんでいる。
ピアフの話を少しばかり。
生前親交のあった詩人・ジャン・コクトーはその死を聞いて
「とんでもないことだ」と云いながら寝室に。
翌朝、コクトーは心臓発作により死亡したと。
ピアフの葬儀の折は、その死を悼んでパリ中の商店は休業、
40000人のファンが葬儀に参列したという。
その後買い物かたがたオペラ、ラファイエット百貨店、
JCBで日経を読ませてもらいピラミッドからルーブルあたりを散策。
昔泊まった「ホテル・ノルマンディ」も懐かしく、写真をパチリ。

チュユルリーから地下鉄①で帰宅。