山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

いよいよローカルの時代

2015-09-10 20:36:29 | 読書
 国際的な市民活動家ヘレナさんにオイラが注目している文化人類学者辻信一がインタビューした対談集『いよいよローカルの時代』(大月書店、2009年6月)を読んだ。
 先日の「ラブファーマーズカンファレンス」集会の内容と共通するものが満載だった。

      
 ヘレナさんは、欧米のグローバリゼーションの始まりの第1段階は、奴隷制と植民地主義。
第2段階は、第2次世界大戦から1980年代。
第3段階は、労働力を第3世界に侵出する情報・金融資本化の現在、とする。
 それは、いままでの分散型・自給型経済社会の破壊過程だったとする。

                         
 続けてヘレナさんは強調する。
 「この30年間、私が言い続けたのは、小規模農業の破壊は、私たち人類の歴史の中でもっとも深刻な悲劇であり、危機だということです。」

      
 グローバル経済の進展は、人と人との分断、自然界と人との分断、時間と人との競争、を加速させると指摘する。
 科学技術の発展で産出したはずの浮いた時間はどこに行ったのだろうか、むしろ時間に追われてストレス人間になっているのではないかと踏み込む。
 なるほど、と納得する。

                     
 農的くらしの意味は、「人類は農耕民として進化してきたという長い歴史的な背景がある」とし、「巨大なパワーで私たちの心や政府をコントロールしていたシステムをローカルに、つまり、地域ごとに分解する」ことにあると喝破する。

                                   
 さらに、「今までは宙に浮き、場所性を持たなかったパワーをローカルという場所に着地させようということです。」とまとめる。
 感覚的に生きていたオイラの行動を理論づけてくれたヘレナさんの言葉にいちいち納得してしまう。
 そうした農的暮らしのネットワークとその意味の理論化・一般化が必要になっていくと思われた。

           
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台風一過雲多し

2015-09-09 20:20:05 | 風景
 数日前から大雨が続く中での台風だった。
 例年より雨が多い日々、ひと月分の雨が降ってしまう事態となった。
 愛知に上陸した台風18号の雨は叩きつけるほどの雨ではなかったので、隣の道路はチロチロの小川で済んだ。

           
 台風が通過した後は、連日覆っていた雲はずいぶんなくなり、北斎やゴッホが愛したプロシアンブルーの空が見えてきた。
 収穫を兼ねて風で倒れたモロヘイヤを整理していると、汗がびっしょり流れる。

                       
 近くの国道では路肩が崩れて通行止めになっているらしい。
 雨が止んだものの、土中にはかなりの水分が含まれているので予断は許せない。
 道草山もなんとか崩れずに栗の実を保持してくれている。

     
 明日以降は雨は止んでくれるらしいので、遅れた農作業を開始できそうだ。
 先日、修理に出していた耕運機を動かしてみたが、エンジンがかからなかった。
 日にちをおくとスタートできることがあるのでそれを期待したい。
 ニンニクをそろそろ植えるときなのだ。
 
 

           
 
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難民は欧米が生み出したもの

2015-09-08 21:37:16 | 意見・所感
 ここ数日、シリア難民がドイツを目指してヨーロッパに越境している画像がメディアに溢れている。
 ドイツが年間50万人の難民を受け入れられると表明している。
 ナチスドイツが他民族を殺戮してきた教訓からの措置でもある。
 原発を止めるという決断もさることながら、哲学のドイツらしい本源的な判断だ。

                             
 それに比してわが日本は、難民を受け入れることに消極的だ。
 それ以上に日本は、戦争の加害者としての責任をいまだあいまいにしたままだ。

 ドイツが近隣国から戦争責任を問われないのは、そうした反省と教育と方針とがある。
 日本の統治者の目は、アメリカのご機嫌うかがいをしながら西洋の一員になりたいのだ。
 
          
 だから、アジア諸国にはいつも心が向かない。
 沖縄問題も本質的には同じ発想なのだ。
 ドイツの英断から学んでほしいぜよ、日本よ。


 今回の難民問題の本質は、欧米に根源的な責任がある。
 アフリカに対するかつての欧米の植民地主義によるものだ。
 他国の資源を収奪しつくして放置してきた結果であることを忘れてはならない。
 そこをマスコミも目をつぶって目先の大変さばかりを放映してしまうから、他人事となる。
 
 

       

 
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虫のレストランは大忙し

2015-09-07 21:28:37 | 生き物
 雨が止んでいるときがチャンスだとばかり、午前も午後も草刈りに追われる。
 トウモロコシ畑の後に肥料をまき、暗くなるまでに畝づくりを何とか間に合わせる。
 肥料の糠を放置しているとイノシシなどの動物がやってくる。

 ニラの花がいっせいに咲いている。
 その花に向かってハチやチョウが頻繁にやってくる。
 西洋ミツバチかと思っていたら、腹の紋の特徴から「オオハナアブ」らしい。
 アブというと刺すイメージが強いが、ハナアブはハエの仲間に近いという。

                                        
 地味なチャバネセセリのなかに「キマダラセセリ」もやってきた。
 翅の色合いが目立つのでつい見入ってしまう。
 幼虫はササやタケの葉を食べるという。

                         
 大きな翅の音を立てながらあわたたしく仕事をしている「クマバチ」。
 いかつい体のわりにはおとなしい。

        
 イノコヅチが好きらしい「スズバチ」を発見。
 粘土質の土を集めて唾液を混ぜて団子状にして巣を作る。
 名前の由来は諸説あるようだが、その巣が土鈴(鈴)に似ているからという説を取りたい。
 日本最大のトックリバチだ。

 何気ない花に多様で意外な昆虫が来ていることに感心する。
 
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食べられるキノコ発見

2015-09-06 16:30:08 | 春野山の村
 「春野山の村」近くの道路際で、食べられるキノコを発見。
 最近、春野町の林縁で出会う機会が増えてきた「タマゴダケ」。
 ホウノキの葉の上にその傘を置いておいたら、翌日見事な胞子紋ができていた。
 偶然のアートに集会参加者はびっくり。

                       
 さらに、その近くでどんな雑キノコかと思って車から降りてみたら、なんと「チチタケ」だった。
 傘の色が橙色ではなかったが、間違いなく裏のひだからは乳が出ていた。
 今までなかなか発見できなかったが、これで近くの山にもチチタケがあることがわかった。

     
 地元の猟師の方が松のそばにあった珍しいキノコを持ってきてくれた。
 すぐには分からなかったが、調べてみるとどうやら「マツオウジ」であることがわかった。
 これは以前キノコ狩りに山梨に行ったときまれにみつかる「マツオウジ」だった。
 手のひらくらいの大型のきのこで、松脂のようないい匂いがした。

                        
 わが家の枯れ木にできた「ヒロハノキカイガラタケ」も、「山の村」でも近所にもふつうに見られる腐朽菌キノコだ。
 もちろん、これは食べられない。

 しかし、権威ある「山渓のきのこ図鑑」では「ヒロハノ」という言葉が入ってなくて変更されているのを偶然ネットで分かった。
 それを見ると変更された箇所がかなりあり、きのこの同定がいかにむずかしいかをあらためて感じた。
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運動と地域との乖離を埋めるのが課題

2015-09-05 21:39:08 | 春野山の村
 「ラブファーマーズカンファレンス」三日目。
 土曜日とあって学生ら若い参加が目立つ集会は、高齢者の過疎地を突然別世界を形成する。
 多様な分科会の構成は、ブレーンの幅広い人脈が想起される。

       
 集会をけん引する某女史のカリスマ度はぐいぐい事態を魔法の世界へといざなう。
 あすで終わる前に、裏方で奮闘するスタッフを紹介してねぎらう配慮も忘れない。
 しかし、地元からの実質参加者が限りなく少ないという現実は、まさしく日本の集落の閉鎖性を露わにしている。

                                 
 つまりは、よそ者が突然やってきて遠吠えを吐いているようなものだ。
 それが本物になるかどうかは有機運動の精神を柔軟に解きほぐしていく作業が求められる。
 改革は小さなところ・弱いところから始まる、という言葉を思い出す。

                 
 こうした集会に慣れていない地元の人を受け止める、または出番や居場所を創出する配慮ができるかどうかだ。
 どうも運動論が先行してしまう従来型集会は、研究者好みの内容になりがちだ。
 
 ただし、この集会の地域に与えた影響はじわじわとボディーブローになっていくと思われる。
 それには毎年ここで集いを貫いていくこと、地元の参加者を粘り強く広げていくことだ。
あすでこの集会は閉幕する。
 地元では数人とはいえ若いスタッフがかかわったことに今後の期待と希望とがある。
 
 
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「アグロエコロジー」というつなぐ言葉

2015-09-04 20:29:23 | 市民活動・まち育て
 「ラブファーマーズカンファレンス」集会二日目。
 金子美登さん(埼玉県小川町)、星寛治さん(山形県高畠町)、鶴巻義夫さん(新潟県津南町)という有機農業を体を張って貫いてきた猛者のトークに、歌手の加藤登紀子さんが加わる。
 とりわけ金子さんは孤立無援の中で集落の全戸が有機農業にとりくむまで30年以上かかったという報告は圧巻だった。

                                                      
 また、有機農業を巡る組織の群雄割拠は運動の阻害にもなっている。
 そんななかで、「アグロエコロジー」という概念でそれらをゆるやかに包み込む運動が起こってきたという。
 不覚にも初めて聞く言葉だった。
 有機農業推進法があるにもかかわらず、官民一体となってそれをサボタージュしてきた結果が今日の閉塞がある。
 農業の「成長戦略」という言葉による小規模農業の事実上の切り捨ての現実。

                      
 有機野菜と雑穀料理の昼食をいただいた後、午後にはフランス人のルロン・ペネロープさんの分科会に参加する。
 有機農法を主唱した一楽照雄さんの先験的な共生思想を日本語で語ってくれた。
 フランスの「共生主義」の実践と広がりとの比較が興味深かった。

            
 こうした内容は初めて知ったが、ごますりマスメディアはやはり沈黙を決め込んできた。
 と同時に、こうした分野への思考回路を遮断してきた農協などの既成組織の責任も大きい。

 さらには、今回の集会には当たり前の農家は参加できない。
 当たり前に参加できる内容を創造する感性と柔軟性が主催者側にも問われている気がしてならない。                    
 

       
 
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「ラブファーマーズカンファレンス」が始まった

2015-09-03 22:43:51 | 市民活動・まち育て
 町内の「春野山の村」で「第1回ラブファーマーズカンファレンス」の全国集会が開催された。
 ナイナイづくしのわがムラにとっては大いなる刺激剤になる可能性がある。
 しかも、歌手の加藤登紀子さんの応援の波及力は少なくない。
 トキさんは出店した店を回って気軽に話を聞き出していく。

                             
 オイラが注目していたのは、星寛治さんだ。
 有機農法の町として一世を風靡した山形県高畠町の中心的人物だ。
 著書も何冊か読んだ記憶もある。
 星さん・おトキさんともそこそこの話ができたのが感激だ。

          
 なめした鹿皮を着てきたおトキさんは、ジビエだけでなく皮をゴミにするのではなく有効利用する手立てを提案する。
 「ラブファーマーズ」の意味を一部の人ではなく、多くの人のものにしていくのがこの集いであることを強調する。
 さらに、自分の出産体験から、「からだ」も「土」と同じく、命を生み出していくものだということを実感したという。
 そうか、からだも土も同じ仕組みがあることに改めて納得する。
 よどみない迫真のトークに一流プロの深さが伝わってくる。

                                  
 残念ながら思ったほど地元からの参加者は少ない。
 それは逆説的に言うと、有機農法をやってきた人たちの硬直化が進行したのではないかということだ。
 それぞれの組織のこだわりに拘泥するあまり、運動を広げていく容量を結果的に狭めてしまったのではないかと思える。
 
 その意味では、おトキさんの言葉は多くの人が納得する説得力がある。
 それだけとびぬけた奥行きある存在であることを思う。
 


 
 
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大雨一過 空見たよ

2015-09-02 18:49:02 | 風景
 連日続く大雨にうんざりだが、近くの国道は大雨による通行止めの防災放送があった。
 トタン屋根に当たる雨でラジオやテレビの音声が聞きづらくなる。
 となりの道路はすでに川となった。

                                 
 茶畑の石垣の隙間からはやはり雨水が吐き出される。
 畑の野菜の成長も心配だ。
 トマトがなかなか赤くならない。

      
 ナス・ショウガ畑は水浸しだった。
 午後、雨が止んだので長靴でバシャバシャ歩きながら隣のパプリカを収穫する。
 ニュースはオリンピックのエンブレム白紙撤回ばかりが報道される。
 国立競技場建設経過といい、それは森元総理をはじめとする日本の組織的・感性的衰退の表象・エンブレムそのものだ。
 それは、ほんとうの幸せとは何かの模索が地域・学校・家庭・行政・職場で検討されていないからである。

                         
 明日から町内で、有機農法関係者による「ラブファーマーズカンファレンス」の全国集会が開催される。
 無農薬栽培をしてきたわが家も若干の野菜をもって出店することにする。
 詳しくは、次のHPが参考になる。
  http://www.lovefarmersconference.com/index.html

         
 観光地でもない、名所旧跡もない、郷土の名士もいない、信号もない、店もスーパーもない、ナイナイづくしのわが地域。
 そこに大雨の次に青空が見えてきた。
 「ラブファーマーズカンファレンス」が、この過疎の地域に光を与えるきっかけになればと願う。
 明日の加藤登紀子さんのトーク交流が楽しみだ。
 
 
 
 
 
 
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なにげない森の多様性

2015-09-01 16:46:19 | 春野山の村
 杉・ヒノキを伐採してサクラやコナラなどの広葉樹を植えて森の多様性を復活しようというNPO運営の「はるの山の村」。
 伐採後には、「タケニグサ」や「タラノキ」が自然に生えてきている。
 択伐して残った杉との共生がこれからの森を形成していく。

                          
 林縁で「ガンクビソウ」や「サジガンクビソウ」を発見。
 歩くそのそばでなにげなく咲いているので、あやうく通り過ごしそうになる。
 「ガンクビ」はキセルの先端のことで、それに似た形をしているのでついた名前だ。

                                       
 日陰の道で、「ツルアリドオシ」の赤い実も見つけた。
 アリドオシの樹になる赤い実にそっくりだが、アリを刺すくらい細い棘はない。
 この実は、二つの白い花が合体してできた実なのだ。



 ノブドウに似たツル性の植物を発見したが名前がわからない。
 幹や葉脈が赤いのが特徴だが、図鑑からは同じものを見いだせなかった。
 ふつう、葉の形で見当がつくのだが、ツル性の草本は葉の形が自由なのが多く曲者なのだ。
 
 ところどころには、「アキノタムラソウ」「キンミズヒキ」「ヌスビトハギ」「タマスダレ」などの草本の花が秋の到来を祝っている。                    
                     
 
 秋の七草にオミナエシがあるが、その男性版として白花の「オトコエシ」があるが、形はいつもくたびれているし、花も目立たない。
 日本のくたびれた企業戦士みたいだ。

 「はるの山の村」の森は、これという植物や見どころは少ないが、よく観察すると豊かな植生があることがわかる。
 この植物をより意図的に保護育成すれば春野を代表する植物園・生態園になる可能性を秘めている。 
 そのためには、専門家やボランティアの結集を促す情熱が必要となる。       

             

                       
 
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