シャネル&ストラヴィンスキー
2009年/フランス
‘春の祭典’としてのシャネル
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
シャーリー・マクレーン主演の『ココ・シャネル』(クリスチャン・デュゲイ監督)、オドレイ・トトゥ主演の『ココ・アヴァン・シャネル』(アンヌ・フォンテーヌ監督)という流れで、この作品を観ると面食らってしまうかもしれない。何故ならば正確を期するならばこの作品の主役はシャネルではなくてストラヴィンスキーの方だからである。
この作品の中で何故かストラヴィンスキーはやたらと‘さまよって’いる。冒頭では楽屋から客席を経てステージの裏までさまよい、シャネルの別荘でもシャネルの部屋などをさまよっている。それは天才でありながらも世間に評価されないが故のストラヴィンスキーの自信の無さを表している。そんな彼の目の前に現れたのが、やたらと自信満々のシャネルだったのである。
シャネルやストラヴィンスキー夫妻が『春の祭典』の再演が決まったことを祝っている席である男性が印象的な話をしている。口笛を吹いて男が歩いていると、同じ曲で口笛を吹いていた女性と出会ったという話である。これは偶然なのか運命なのかという問いにストラヴィンスキーは何も答えなかったが、ラストシーンで『春の祭典』の舞台の中央に立っていた人物がシャネルであったことを鑑みるならば、シャネルこそストラヴィンスキーにとっての束の間の‘春の祭典’であり、彼にインスピレーションと自信を与えたことは間違いない。しかしシャネルがストラヴィンスキーのためだけの‘春の祭典’ではない理由はラストでストラヴィンスキーの顔写真を飾りながらシャネルは新しい男性と逢引していることから分かる。
「大雪だから温暖化なんかウソ」と主張するロシアン・ルーレット(gooニュース・ニュースな英語) - goo ニュース
確かに。「『どっちか分からないけど、たぶん大丈夫だから何もしない』というのは、
愚か者の選択です」という加藤祐子の言い分は分かるのだが、いくら正確なデータ
を揃えてみたところで、現在世界の温暖化ガスの排出量の半分以上がアメリカと
中国で占められており、その上今後中国やインドなどの大国に「Save the Earth」
などと唱えてみたところで経済発展を控えるわけがないのであるから、1億強の
日本人が頑張ってエコバッグやエコ製品を積極的に使用したとしても無駄な努力
であることは分かりきっている。つまり温暖化ガスの排出量を抑えたいのであるなら
経済の発展と温暖化ガスの減少が結びつかなければならないはずなのであるが、
いまのところそんな奇策は聞いたことがない。