MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『特集:ジャック・ロジエのヴァカンス』 100点

2010-02-17 23:42:08 | goo映画レビュー

特集:ジャック・ロジエのヴァカンス

-年/-

ネタバレ

ジャック・ロジエの問題提起

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 時々誰もが絶賛しているのに実際自分が観てみたらその良さがよく分からなかったという作品に出くわしてしまう。私にとってそれは最近の例を挙げるならばヴィターリー・カネフスキー監督の『動くな、死ね、甦れ!』(1989年)なのであるが、残念なことにジャック・ロジエの長編デビュー作品である『アデュー・フィリピーヌ』(1960-62年)もよく分からなかった。
 しかしもしも本当にこのジャック・ロジエの長編デビュー作に対してフランソワ・トリュフォーが嫉妬したとするならば、それはロジエの作風がトリュフォーのデビュー作よりもより‘ヌーヴェルヴァーグ的’であったからだと思う。例えば『大人は判ってくれない』のラストシーンは主人公の少年が海岸まで走っていくシーンであったが、最後に彼が振り向く仕草にはまだ観客の涙を誘おうとする監督の‘古典的’未練が残っていたが、『アデュー・フィリピーヌ』のラストシーンにおいて兵役に就くために船に乗っていってしまうミシェルに対して手を振るリリアーヌとジュリエットの2人には全く感傷的なところはなく、寧ろ必要以上に積み重ねられるショットのために2人は手を振ることを楽しんでいるふうにすら感じる。
 ではジャック・ロジエの映画制作の意図は何なのか? 私はその鍵となる作品は1963年に制作された2つの短編『バルドー/ゴダール』『パパラッツィ』に隠されていると思う。
 この2作品ともにゴダールが『軽蔑』を撮影している現場を取材したドキュメンタリー映画としか認識されていないようだが、この2作品はヌーヴェルヴァーグ作品の核心を突く問題提起である。『バルドー/ゴダール』によればゴダールは『軽蔑』において‘ありのまま’のブリジッド・バルドーを捉えようとしていたはずであるが、『パパラッツィ』を観てわかるように‘ありのまま’のブリジッド・バルドーを捉えようとしていたのはパパラッツィたちも同じである。つまりジャック・ロジエはこの短編で、‘作品’においてゴダールとパパラッツィたちの違いは何なのかということを考察しているのである。撮影対象を‘ありのまま’に捉える時に、ゴダールとパパラッツィたちのどちらのアプローチが‘正解’なのか?
 ジャック・ロジエはその問いに答えを出す代わりに長編第2作『オルエットの方へ』(1969-70年)を撮った。そしてそこには『アデュー・フィリピーヌ』にまだ残っていた‘物語性’を完全に払拭して、ただ「オルエット」と繰り返して叫ぶだけの、床の上に巻き散らかされたうなぎに奇声を発して逃げ惑うだけの、ヨットに乗って騒ぐだけの‘ありのまま’の3人の娘、キャロリーヌとジョエルとカリーンの姿が映し出される。さらに長編第4作『メーヌ・オセアン』(1985年)では主要な女性登場人物をダンサーと弁護士にすることでより明確に生き生きと描き出すことに成功している。
 おそらくジャック・ロジエが導き出したヌーヴェルヴァーグ的手法とは女性に対して男性が‘下手に出る’ということで、その時に彼は女性を‘ありのまま’に撮れると確信したと思う。だから私には『ブルー・ジーンズ』や『アデュー・フィリピーヌ』はまだ主人公の男性が強すぎて上手く飲み込めなかったが、主人公の重心を完全に男性から女性にシフトした『オルエットの方へ』と『メーヌ・オセアン』は‘ありのまま’の女性たちを上手く捉えることに成功した傑作だと思えたのである(『オルエットの方へ』でプログレッシヴ・ロックバンドのゴングの音楽を使うセンスも素晴しい)。
 ジャック・ロジエの‘ヴァカンス(休暇)’とは‘ヴァカンス(空虚)’な物語のことである。


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グーグル問題と同根?

2010-02-17 20:46:16 | 邦楽

【コラム】 偽レコード会社がPerfumeの音源をiTunesで無断配信の怪(R25) - goo ニュース

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