歩いても 歩いても
2007年/日本
決して追いつけない‘理想’
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
開業医の横山恭平の長男である純平の命日に合わせて、弟の横山良多は妻のゆかりと連れ子のあつしを連れて実家に戻る。既に姉のちなみは夫と2人の子供と一緒に来ていたのであるが、家族間の会話は終始ぎくしゃくしている。将来有望な医者として期待されていた純平の死は、横山家に‘理想’を植えつけてしまい、例えば、せっかく純平が海で自分の命の代償に救助した今井良雄という青年は毎年純平のために線香を上げに来るのであるが、フリーターのままでうだつが上がらないために横山恭平も妻のとし子も、何のために助けたのかとぼやいてしまう。両親のプレッシャーは良多にも及び、わざわざ子持ちの女性と結婚した上に失業中であるのだが、良多の仕事は絵画の修復作業であり、それは‘理想’の維持の試みであり、あつしが将来付きたい職業は実の父親と同じピアノの調律師なのであるが、この職業も音の‘理想’の維持の試みである。
しかしそもそも‘理想’は存在するのであろうか? 開業医として活躍していた横山恭平は、引退後は診察室はきれいに整えていても近所の老人の診察もしてあげられないほど弱っており、妻のとし子が愛聴している、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』はかつての恭平の浮気にまつわる曲である。立派だった家も少しずつタイルが剥がれており、長男の命日に家に闖入してきた蝶をとし子は長男の‘化身’として追いかける有様である。
結局、良多は父親とサッカー観戦をする約束を果たせないまま、父親は亡くなり、母親を自分が運転するクルマに乗せてあげるという約束も果たせないまま、母親も亡くなるのであるが、彼らの‘理想’とは程遠い、不恰好な家族形成でありながらも、良多は娘をもうけてゆかりとあつしと共にささやかな幸せを手に入れるのである。秀逸な脚本だと思う。
しかしまさか本作がのちにコメディ作品の『テルマエ・ロマエ』(武内英樹監督 2012年)とシリアスドラマの『わが母の記』(原田眞人監督 2011年)の萌芽になるとは誰も想像していなかったであろう。
「リョーマの休日」県ポスター、彫刻作品と酷似(読売新聞) - goo ニュース
「ローマの休日」からの「リョーマの休日」という駄洒落ならば、誰でも思いつく範囲のもの
であるし、高知県が観光キャンペーンのキャッチフレーズを「リョーマの休日」とするならば
ポスターの図柄であって木彫作品ではないのだから、問題はないと思うのであるが、敢えて
問題がこじれた原因を見つけるならば、高知県の観光キャンペーンのポスターの図柄では
坂本龍馬が女性を後ろに乗せて運転していることであって、確かに龍馬がメインではある
ものの、映画『ローマの休日』においてグレゴリー・ペックが演じた新聞記者が、オードリー・
ヘプバーンが演じたアン王女を前に乗せたという“気配り”が感じられないところだと思う。