ニッポン無責任時代
1962年/日本
居残り佐平次と平均
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
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ビジュアル
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音楽
0点
「無責任」と堂々とタイトルが付されている割には本作の演出はかなり丁寧であり、例えば作品前半の社長室から受付を経て、事務室へ至るまでの3つの壁時計の時間推移の正確さのみならず、主人公の平均が北海物産の石狩熊五郎社長を接待した先で働いているまん丸という芸者が画面に向かって歩いてくるところをカットした次の映像は、バー「マドリッド」で働いている女給の麻田京子が画面に向かって歩いてくるものであり、ボウリング場で平均が太平洋酒の女性秘書の佐野愛子に抱きつきながらキスをしたシーンの次のカットは氏家孝作と大島洋子のキスシーンであり、平均が披露する名曲にリズミカルなカットが加わることで、本作は名作の誉れに足りるのであるが、作品後半になって、氏家孝作が飲むビールの泡がカットが変わった途端に無くなっていたり、平均を探している佐野愛子と車に乗った麻田京子が偶然出会うシーンにおいて、最初のカットと2つ目のカットの車に対する佐野愛子の立ち位置が微妙にずれていたりして、その‘几帳面さ’が最後まで持続するとは限らないことがあることも分かる。
それにしても平均を見ていて思い出す人物は本作の5年前に撮られた『幕末太陽傳』(川島雄三監督 1957年)の主人公である居残り佐平次である。2人共に素性が不明で、次々と発生する問題を楽々と解決していくという共通点があるにも関わらず、悲しみを滲ませながら終わる『幕末太陽傳』と比較するならば、『ニッポン無責任時代』の明るさは、居残り佐平次の肺病という原因を除けば、政治に関わってしまった佐平次(大学生)と、上手く高度経済成長に便乗して、「人頼み」も「おせっかいな女」も避けて、あくまでも経済効率に専念した平均(サラリーマン)の違いとして現れたのではないだろうか?作家の小林信彦氏の「個人の幸福に対して何の責任も持たない体制に対しては無責任でもって居直るよりない」という正論はもっともであるが、高度経済成長というバックアップがなければ、平均でさえも無責任で居直ることは出来なかったと思う。
最後にジンメルの言葉を引用しておきたい。「或る深さを持つ人間にとっては、人生に堪えるのには、一般に一つの可能性しかない。即ち、或る程度の軽薄ということである。もし対立して調和し難い衝動、義務、努力、憧憬、それら一切を深く考え抜いたとしたら、(・・・)彼は飛散し、狂気に陥り、生命を捨てざるを得ないからである」
トークの緊張感たっぷり~テレビ朝日 マツコ&有吉の怒り新党(GALAC/ぎゃらく) - goo ニュース
『マツコ&有吉の怒り新党』は私もかかさず見ているが、“毒舌キャラ”で張り合っていた
マツコ・デラックスと有吉弘行を敢えて組み合わせたところが上手く、その2人に秘書として
夏目三久をキャスティングしたのも正解だった。「国民からの怒り」のコーナーはもちろん
「新・3大○○調査会」というコーナーも、それだけで一つの番組が作れそうなほどに上手い
アイデアだと思う。しかし意外だったのはマツコ・デラックスも有吉弘行もチャップリンの
映画を見たことがないという事実で(たしか『男はつらいよ』も見たことがないと言っていた)、
チャップリンの作品が映画の基本だと思っている私にとっては、それならば彼らより若い人は
さらに見ていないということになりけっこうショックを受けてしまった。