ホーリー・マウンテン デジタルリマスター版
1973年/アメリカ=メキシコ
コンプレックスからの逃避による空虚な物語
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『エル・トポ』(1970年)の次にアレハンドロ・ホドロフスキー監督が撮った『ホーリー・マウンテン』は個人的には意外なものであった。イエス・キリストに似た主人公の盗賊が、大量のキリスト像に埋もれ、もがくシーンが象徴しているように、本作は徹底的に‘造形’にこだわる。それは練金術師によって無理やり集められたはずの有力者たちが、練金術師に抵抗することもなくおとなしく従っているところを見ても、本作にはドラマが存在せず、例えば、イスラという女性は武器を製造しているのであるが、その武器は性能の向上よりも派手なフォルムが重視され、クランという男性は人間の生の尻を利用した版画などのシュールなアート作品を制作しており、セルという女性は子供たちのために老人たちを雇って子供用の武器を製造しており、あくまでも監督の関心は物語よりもポップな映像美である。彼らは所有していたお金と自身を模った人形を焼いた後で、練金術師と共に不死の術を得るためにロータス島にある‘聖なる山(The Holy Mountain)’を目指す。
山頂にたどり着いた彼らに練金術師が放つ一言は驚くべきものであるのだが、それは決して奇を衒ったものではなく、‘作り物’そのものを否定することで、‘リアルな人生’の追求を試みる宣言なのであり、それは『サンタ・サングレ/聖なる血』(1989年)で描かれるように、『エル・トポ』において消化不良気味だったテーマに再び臨もうとするホドロフスキー監督の覚悟が感じられるのである。
入れ墨「一概に言えない」=藤村官房長官(時事通信) - goo ニュース
藤村修官房長官の記者会見での、公務員が入れ墨を入れることについて「茶髪が嫌な人も
中にはいるし、一概には言えない。私個人の好き嫌いを述べる場ではない」という見解は、
明らかに“置きに”いったものだと思う。茶髪は気軽に出来るものであり、止めようと思えば
すぐにでも黒髪に戻せるものであるが、入れ墨は痛みに堪える根性が必要であり、一度
入れてしまえばきれいに消すことは出来ないからであり、外国では別の価値観があるのかも
しれないが日本においては、入れ墨は個人の好き嫌いを超えた何らかの“メッセージ”が
込められているはずなのである。揚げ足をとられることを避けて自分の意見も言えない
ような官房長官の存在意義を疑ってしまう。