原題:『北の零年』
監督:行定勲
脚本:那須真知子
撮影:北信康
出演:吉永小百合/渡辺謙/豊川悦司/柳葉敏郎/石原さとみ/石橋蓮司/香川照之
2005年/日本
「ええじゃないか」とはいかない脚本について
評判が良くない本作を敢えて観る理由は、その原因が脚本を担当している那須真知子にあるのかどうか確かめるためだけだったのであるが、想像通りに違和感が多々残るシナリオである。
庚午事変により、明治3年に明治政府から北海道の静内に移住を命ぜられた淡路の稲田家の人々は家老の堀部賀兵衛と家臣の小松原英明を中心に、未開の地を必死になって開拓し、ようやく稲田家当主を迎えられたものの、殿は廃藩置県によって彼らの土地が明治政府の管轄となってしまったことを理由にすぐに帰郷してしまうのであるが、その直後、どこからともなく「ええじゃないか」というフレーズを連呼して踊り狂う人々が現れ、残された人々が殿のために整えた土地を滅茶苦茶にして去ってしまうというシュールな映像の意図がつかみにくい。殿がいなくても‘ええじゃないか’という意味としても、残された人々も一緒になって踊りだすわけではなく、ただ混乱をもたらすだけなのだから意味が分からない。
耐久性の高い稲を求めて札幌の農園に向かったまま半年以上経っても帰ってこない英明が他の女と一緒にいたところを見たと言う持田倉蔵が、小松原志乃を手込めにしようとした際に、アシリカが現れて、持田はかなりの重傷を負ったはずであるが、すぐに元気になって現れる場面は、馬宮伝蔵が持田が隠し持っていた米を盗もうとして掴まった時で、妻の馬宮加代は土下座をして持田に許しを請う。石田ゆり子が演じたこの馬宮加代のキャラクターも不思議で、この時、持田は自分の非を認め、村人たちに米を配ると宣言しているのであるが、それでも足りなかったのか、加代は持田に体を許してまでもどんぶり飯をかっ食らう有様で、武士の妻としての矜持が全く感じられないのである。
クライマックスにおいて志乃が所有していた馬たちが突然馬小屋から逃げ出す様子を、堀部賀兵衛たちも小松原英明たちもただ呆然として見つめているシーンなど良い場面もあり、稲田騒動の事後譚というテーマも悪くはないだけに脚本の酷さが残念でならないのであるが、この酷さはあくまでも予兆でしかなく、『デビルマン』(那須博之監督 2004年)において‘発揮’されることになる。