原題:『許されざる者』
監督:李相日
脚本:李相日
撮影:笠松則通
出演:渡辺謙/柄本明/柳楽優弥/忽那汐里/小池栄子/國村隼/佐藤浩市
2013年/日本
2人の「許されざる者たち」の比較考察
『許されざる者』(クリント・イーストウッド監督 1992年)のリメイクであることは言うまでもないのであるが、本作は余りにもクリント・イーストウッド作品を深刻に受け止めすぎていると思う。
そもそもかつて列車強盗や保安官殺しで名を馳せたオリジナルの主人公であるウィリアム・マニーというキャラクターが、女子供さえ殺すことも厭わないはずなのに娼婦のデライラ・フィッツジェラルドの顔を傷つけたというだけの理由で、もちろん2人の子供たちのために$1000の賞金目当てではあるものの、出かける前に空き缶に目掛けて拳銃を撃ってみたが一発も当たらず、白馬に乗ることだけでも一苦労してしまう状態で犯人である2人のカウボーイを殺しに行くというプロット自体に無理があるはずなのである。ところが保安官のリトル・ビルに見つかり半殺しの目に遭ったマニーは3日の間、生死の境を彷徨うが何とか生き延びて、クイック・マイクを殺した時にも、相手のライフルの乱射で白煙が垂れこめる中、辛うじて逃げ切ることが出来るのであるが、一緒に行ったネッド・ローガンは帰郷途中でリトル・ビルたちに呆気なく見つかり撲殺される。ローガンの仇を取るためにマニーはウイスキーを飲んで、スキニーの酒場へ乗り込み、次々と撃ち殺していく。現場にいた作家のW・W・ボーシャンプに「もしも何人ものガンマンに囲まれたら一番腕の良い相手から殺すのが定石だから最初に保安官を撃ったのでしょう」と問われたマニーは「そういうものか?」と答え、自分には決まった戦い方がないことを打ち明け、自分のことを棚に上げて「女たちに怪我をさせるようなことは2度とするな。今度やったらひとり残らずぶっ殺してやるぞ」と捨て台詞を残して去っていく。
このように相手を殺す方法論も持ち合わせておらず、酒を飲むことで却って銃の実力を発揮するなどウィリアム・マニーは場当たり的でありながら殺し屋として‘一流’である理由があるとするならばマニーはただ恐ろしく運が良いだけで、実はヒーローというものは存在しないということを明るみにしたからこそオリジナルは「最後の西部劇」と呼ばれたはずなのである。このようにオリジナルの『許されざる者』の面白さはシリアスでありながらふざけているところで、残念ながら本作にはそのような‘軽さ’が無いために終始重苦しい感じに包まれたままなのである。