原題:『Renoir』
監督:ジル・ブルドス
脚本:ジル・ブルドス/ジェローム・トネール
撮影:マーク・リー・ピンビン
出演:ミシェル・ブーケ/クリスタ・テレ/ヴァンサン・ロティエ/トマ・ドレ/ロマーヌ・ボーランジェ
2012年/フランス
「名声」とは誰のものなのか?
作品冒頭は、ピエール=オーギュスト・ルノワールの家に自転車で向かうアンドレ(後のカトリーヌ・エスラン)、通称‘デデ’の姿が映される。ルノワールの妻に請われてモデルの仕事を請け負ったのであるが、その妻は既に亡くなっており、モデルの仕事といってもルノワールが描いていたものはデデ本人ではなくリンゴで、10フラン欲しかったが5フランしかもらえなかったなど、ルノワールにとっては最後のミューズではあったが、デデにとっては最初からルノワールとの相性が良くはない。
この最初のボタンの掛け違いはやがてストーリーそのものの歪みにつながる。例えば、用を足しに行くということで女性から赤ん坊を託されたデデはしばらく抱いていたものの、その後赤ん坊をジャンに預けてどこかへ行ってしまうのであるが、次のシーンは赤ん坊を抱いたジャンが部屋で体調を崩した父親を見つけるところで、デデがどうしていなくなったのか語られない。あるいは庭を散策しているデデが家の中に入っていくシーンはその前後のシーンと繋がっておらず、ラストで瞳に涙を浮かべていたデデの次のシーンは庭で女性が幼子を歩かせているシーンであるが、その視線はデデのものではなくルノワールの視線であり、演出においてもデデは完全に孤立しているのである。
デデに関する印象的なシーンは女中たちの仕事部屋で、癇癪を起こしたデデがルノワールの名前が入った皿を次々と割っていくところで、どうやら本作はリウマチを患いながらも執筆を止めなかったピエール=オーギュスト・ルノワールの感動的な生き様が描かれているわけではなく、創作の活力を与え、数々の傑作を描かせ、画家として名声を博するピエール=オーギュスト・ルノワール、あるいは叱咤激励してやがて映画監督として大成した夫のジャン・ルノワールと比較し、どうして2人の仕事に多大な貢献をしたはずのデデが無名のままなのかという問題提起であるはずが、それどころかデデの裸体が父親を狂わせているのだと密かに憎んでいるクロードの誤解により寝ているデデの体に青い塗料を振りまくのである。もちろんそれはデデだけの問題ではなく、例えば、青い海の中で動かずに浮かんでいる人たちの「死」のイメージ、あるいは戦争で顔に深い傷を負った人たちのようにある人の名声とは、多くの無名の人たちの上に成り立っているはずなのである。