原題:『The Patriot』
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ロバート・ロダット
撮影:カレブ・デシャネル
出演:メル・ギブソン/ヒース・レジャー/クリス・クーパー/チェッキー・カリョ
2000年/アメリカ
巧みな戦略の再現よりもヒーローの活躍を優先させる映画監督について
アメリカ独立戦争を描いた本作は意外と出来は良いのであるが、クライマックスの銃撃戦には違和感を持たざるを得ない。作品前半で主人公のベンジャミン・マーティンの長男のガブリエルを捕えて、さらに兄を助けようとした次男のトーマスを銃殺して去っていたイギリス軍のウィリアム・タヴィントン大佐に復讐しようとベンジャミンは三男のネイサンと四男のサミュエルと共に先回りし、2人の息子にアドバイスし、複数の銃を森の中にあらかじめ仕込んでおき、長男を引き連れたイギリス軍をたった3人で壊滅させて長男を救出できたからである。
だからクライマックスのカウペンスの戦いでアメリカ軍とイギリス軍が対戦する際に、例えば、織田信長が1575年の長篠の戦いにおいて試みた「三段撃ち」をしないことに違和感を持つのである。「三段撃ち」はオランダ総督のマウリッツ (オラニエ公)が行なった軍事革命の一つでもあるのだが、約200年後の独立戦争でどうして「三段撃ち」を再現しなかったのか理解に苦しむ。
しかしだからと言って、エメリッヒ監督の演出が悪いとも思えない。ベンジャミンがタヴィントン大佐を撃とうとした時に、背後で爆発があり、狙いが逸れてタヴィントン大佐を負傷させたが殺すまでに至らなかったという細かい演出が施されているからで、つまりヒーローが映えるためには、巧みな戦略を忠実に再現するよりも多少の「稚拙さ」がなければならないということなのである。