原題:『Arizona Dream』
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ/デヴィッド・アトキンス
撮影:ヴィルコ・フィラチ
出演:ジョニー・デップ/ジェリー・ルイス/ヴィンセント・ガロ/フェイ・ダナウェイ/リリ・テイラー
1994年/アメリカ
過酷な「アリゾナ・ドリーム」について
両親の死後、ニューヨークに出てきて水産局に勤める23歳のアクセルは、叔父のレオの結婚式の付添人として6年振りに故郷アリゾナに戻って来た。彼の両親の死はレオの運転していた自動車の事故によるものだったため、彼はアクセルに報いようと自分の経営する中古車販売所の手伝いを頼んだ。アクセルはそこに客として来ていた未亡人のエレインと亡き夫の連れ子であるグレースと出会い、やがて彼女たちの家に住み着くようになる。エレインとアクセルは空を飛ぶ夢を実現するために小型飛行機を制作し始める。2人は年の差を超えて愛し合うようになるが、それを快く思わないグレースは出来上がる度にその飛行機をぶち壊す。
「アリゾナ・ドリーム」というタイトルの作品ではあるが、ここにおいて夢などは存在しない。夢は実現した時点で既に夢ではなくなっているからで、それでも人がありもしない夢を追っているとするならば、夢を実現するまでのプロセスを楽しむためであろう。だからアクセルにとってエレインと同様に、夢をぶち壊すグレースも大切な存在なのであり、やがて彼がグレースを愛するようになるのもごく自然なのである。また男性に対して抱く夢が結婚として実現してしまうことを防ぐためにエレインが自分の夫を射殺してしまい、全てを手に入れたレオが自殺してしまう理由も同じで、ラストシーンで元々自殺願望があったグレースが自殺してしまう理由は、人はいつまでも夢に浸っていることができず、いやでも現実に生きる大人にならざるを得ないからである。
もはやコロンブスの頃のような、あるいはエスキモーのような絶えず新しい発見があるようなアメリカン・ドリームは存在せず、残っているのは斯くも過酷な「アリゾナ・ドリーム」だけなのであろう。